横尾 香央留/糸のゆくえ

幼い頃 母が台所で染色をしていた。
シンクに蓋をしてそこにお湯や染料を入れ
一度煮沸して糊抜きをしたシーチングを浸す。
生成り色の生地が沈みながら
色水吸い込んでいく様をみていると
自分も足先から染まっていくような気がして
ぞくぞくした。
充分に色を吸ったように見える布は
絞られると思ったより染まっておらず
再び色水に沈み 色留めの行程などを経て
物干竿を占領した。

わたしはしょっちゅう
「ねえ、染めしないの?」と催促したが
「染めは疲れるからねえ」と却下された。
たしかにシーチングの詰まった
キンカ堂の紙袋は重たくって
帰り道 手伝おうと思い差し出した腕は
ぐいっと地面に持っていかれ すぐに断念した。
その生地が水を含むのだから
絞るだけでも相当な労力を要することは
こどものわたしにも理解できた。
母は幼稚園のママ友と
(当時はそんな呼び方はなかったと思うが)
こども服を作っていた。
母が染めを担当し 縫いを担当する人
売り子を担当する人の3人組。
それを時々誰かの家で売っていたようだ。
ブランド名は“studio pin”といい
ちゃんとタグも作っていた。

わたしはその頃
“サーモンピンク”という言葉を覚えた。
おしゃれでかわいい1番好きな色になり
ブラウスやワンピースを愛用した。
“エメラルドグリーン”は2番目に好きな色で
つりヒモ付きのスカートを着られる日はうれしかった。
どちらの色も語感が気に入っていただけのような
気もしなくもないのだが
これらを着ていると特別な気分になれた。

服飾の専門学校に入学してから
自分は布が嫌いだった ということに気がつき
ニット科に進んだのだが 懐かしの染色の授業はあった。
布ではなく糸を染めるから苦ではなかったが
あまり性にはあっていなかった。
筋肉隆々の先生が力一杯染液をしぼる姿に
その筋肉の必要性を感じ 昔の母の言葉を思い出す。

授業で藍染め工房にも行った。
糸をかせの状態で染めたり
カーディガン用に編んだパーツに
蝋で水玉模様を描き防染したものを染めたが
前身頃・うしろ身頃・両袖
それらが一体になることはなかった。
いつか使うかもしれないと思っていた
その水玉模様の片袖の存在を
宝島染工さんを訪れた時に思い出し
今回のニットに接いだ。
もうひとつのパーツには
藍染め糸と何染めか全く覚えていない
自分で染めたピンク色のテープ状の糸を使った。

絵里さんが染めた キノコ染めの糸を見ていたら
ひさしぶりに染めがしたくなってきた。
秋に開催されるという宝島染工さんの
染の体験に行くことを真剣に検討したいと思っている。

横尾香央留

1979年東京生まれ。
ファッションブランドのアトリエにて
手作業を担当した後、2005年独立。
刺繍やかぎ針編みなどの緻密な
手作業によるお直しを中心に活動。

主な著書
『お直し とか』(マガジンハウス)
『変体』(between the books)
『お直し とか カルストゥラ』(青幻舎)
『プレゼント』(イースト・プレス)

主な個展
「お直しとか」(2011/FOIL gallery)
「変体」(2012/The Cave)

主なグループ展
「拡張するファッション」
(2014/水戸芸術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)

写真/ホンマタカシ 編集/上條桂子

《横尾香央留 糸のゆくえ》の記事

  • フィンランドと日本を行ったり来たりのニットの交換日記。絵里さんが染めたキノコ染めの糸を見ていたら、ひさしぶりに染めがしたくなってきた。

  • フィンランドと日本を行ったり来たりのニットの交換日記。ヘルシンキ在住、アアルト大学の学生でマリメッコのテキスタイルデザイナーでもある島塚絵里さんが編み繋いでくれたニットのテーマは『森からの贈り物』。

  • 日本からフィンランドへ。何度も海を行ったり来たりして、少しずつ編み地が足されていく横尾香央留さんのニットの交換日記。次なるアイデアを求め、天然染料で染め物をする宝島染工の大籠(おおごもり)千春さんを九州に訪ねます。

  • フィンランドと日本を行ったり来たりしながら、少しずつ編み地が足されていくニットの交換日記。横尾さんは木工作家の山口和宏さんのアトリエを訪ね、お話をした一日から浮かんだ光景をニットに綴っていきました。

  • フィンランドと日本を行き来し、むくむくと成長していきたニット。次の編み地のアイデアを考えるべく、横尾さんが次に訪ねたのは、福岡県うきは市、木工作家の山口和宏さんの工房でした。

あわせて読みたい記事・おすすめ商品

オンラインストア入荷情報