木工作家・山口和宏さんファミリーの新しいお店ができるまで

~お父さんの眼差しが育んだもの~ 【前編】

父と娘

イクメンという言葉ができる前からお父さんは子育てをしてきました。
ただその歴史は今少し頼りなく感じられているかもしれません。

かつて高度経済成長期、お父さんは企業戦士でした。
以来半世紀あまり、働き方改革が叫ばれてなお日本のお父さんは忙しい。
ワンオペ育児という言葉が多くのお母さんの共感を呼び(「まさにウチのこと!」)、
家庭に居場所がなくなったとしても自業自得のごとき扱い……

そうした中、福岡県うきは市在住の木工作家、山口和宏さんが
娘さんご夫婦と一緒にお店を始めるというニュースを耳にしました。
お話を伺ってみると、それに至るまでの道のりは父娘の歩んできた歴史そのもの。
さらに家族を育む温かな眼差しを持つビッグファーザーの物語でもあったのです。

リビングの壁には歩希子さんが小さい頃に描いた絵が。いつでもここから家族の営みを見守ってきた。

お父さんの手作りおやつ

果樹園の丘の上、塗料の色がややさめた赤い壁の家は、歩希子さんが大学に入るまで暮らしたところ。
「4歳のお誕生日に引っ越してきたんです」。
まだ建具や家具の揃わない家に引越したのは、誕生日のビッグサプライズだったのかもしれない。内装は住み始めてから山口さんがコツコツと仕上げていった。ドアが付いたり、戸棚ができたり、少しずつ家が仕上がっていくさまに、小さかった歩希子さんはさぞワクワクしたに違いない。

小学生だった歩希子さんのために作ったチャーチチェア。「白く塗って」というリクエストに答えてペイントしたのが少しはげて味わいに。現在販売しているものの原型。

ここで暮らした日々は父娘の歴史そのもの。「とにかく甘やかして」と父が言えば「そう、甘やかされて」と娘。二人はとても仲がいい。
「母は教師をしているので、朝は早いし帰りは遅くて。家にいるときはほとんど父と二人の時間でした」
仕事をする側で遊べるように工房の中にブランコを作ってくれたこと、夏休みの宿題は家族総出で片付けるのが恒例(!? )だったこと(山口さんがこの話をしたとき歩希子さんは軽くにらんだ)、二人の口から代わる代わるこぼれる思い出話は尽きることがない。

山口さんお得意の丸パンとにんじんスープでランチタイム。歩希子さん手製の苺ジャムを添えて。

歩希子さんにはもうすぐ4歳になる娘がいる。毎朝一緒に実家へ出勤し、面倒を見つつ、受注発送、ギャラリーとのやりとりなど、製作以外の一切を山口さんの代わりに取り仕切っている。
「今こうして働くようになって改めてすごいなあと思うのは、保育園や小学校のときに、帰ってきたら必ず父が仕事の手を止めて、おやつの準備をしてくれたこと」

孫のきこちゃんに作ってあげた“板フォン”。黒マジックでりんごマークが。やおらメールを打ったり、電話がかかってきたり、大人ばりに使いこなす。

手作りのおやつは山口家の長年の習慣だ。
「小さい頃は体が弱くて。まだマクロビオティックという言葉もあまり聞かれない頃でしたけど、両親が食事をがらりと変えてお肉もお魚も砂糖も一切とらない時期を作ってくれたんですね。そのおかげで今はすっかり丈夫になりました」
保育園にはお母さんが手作りのおやつをもたせてくれた。奥様がパンやケーキを楽しそうに焼いているのを見た山口さん。僕もやってみたいと真似して作るようになったのが“お父さんのおやつ”の始まりだそう。

すはま作りに凝ったときは京都から材料を取り寄せ、毎日すはま三昧。「あの後しばらくはきなこNGになった」と歩希子さんが言えば「僕ももう食べたくない(笑)」とご本人。

そんなこともあったけれど、いま山口さんのパンといえば友人知人の間で有名だ。大きくてもっちり、一度ご馳走になった人はまた食べたいと口を揃える。
「食に関しては恵まれていたなあって思います」
幸せそうに歩希子さんは言う。

虫食い跡や節のあるプレートやスプーンは自宅で普段使いに。「パスタやサラダにもガンガン使います」と歩希子さん。

自宅の隣にある工房。朝9時から夕方6時頃まで作業する。家具作りは重労働。「とてもお腹が空きます」

お父さんの夢

家のすぐ隣には工房が建っている。山口さんはここでかれこれ20年あまり、木の器や家具を作ってきた。木は加工してみると種類によって質感や重さが異なるのがよくわかるそうだ。柔らかい木もあれば硬い木もある。たとえ同じ種類でも、育った環境によって性質はさまざまだ。

製材した板は工房内で寝かせておく。生育過程で台風などに遭遇した木には黒っぽい筋が入ることもある。「返品されることも多いですが、それが好きというお客様も」

材料になる木は桜、ナラ、栗など、北海道、信州、九州、東北、そしてロシア、北米、アジアのいろいろな国、アフリカからもやってくる。それを丸太の状態で仕入れ、製材後に1年から3年乾燥させる。そのプロセスで含水率が大きく変化する。おとなしい木なら問題なく板の状態になってくれる。けれど癖の強い木は、途中でパキッと割れたり反ったりする。

硬い木もあれば柔らかい木もある。異なる質感を感じてもらいたくて、仕上げは蜜蝋ワックスにこだわる。

できあがったプレートは木の種類によって質感や重さが全然違ってくる。長年付き合ってきて思うようになった。木ってそういうものだなあ、と。いつの頃からか、均一で機能を追求した「製品」というより、それ自体の存在を感じながら使ってもらえる「道具」としてお客さんのもとに送り出したい、自然にそんな思いが芽生えてきた。

虫食い跡も節も木の成長の記録みたいなもの。そばに置くことで、木の育った環境に思いを馳せ、自然を身近に感じてもらえたら。

うきはは丘陵地を利用した果物の栽培がさかん。家と工房は柿の果樹園に囲まれている。

お店をオープンしたらやってみたいことがいろいろあると山口さんはいう。これまで展示の機会が少なかった家具も置きたいし、来てくれた人がゆっくりできるカフェも必要だろう。虫食い跡や節のある木のプレートもそこで販売してみたいと話す。

カフェは一人娘の歩希子さんとお婿さんの一城(いっせい)さんが受け持つことになっている。コーヒーの香ばしい香りが漂う山口家のリビングで、もうすぐお店が始まるけど実感がなかなかわかないね、でも楽しみだね、と話す三人。まだ早い春の陽ざしのもと、その表情は明るい。

平日の昼食風景もこんなふう。工房で作業する山口さんと一城さん、事務等を担当する歩希子さんが食卓に集まる。

お父さんの仕事を手伝わないか

とはいえ今日までは決してとんとん拍子だったわけではなかった。歩希子さんを授かってから、父親として迷いや不安がなかったといえば嘘になる。けれど喜びもまた同じだけ積み重ねてきたことは本当だ。小さな頃、そして成人してからも、子どもときちんと向き合い“お父さんの実績”を積み重ねてきた。

福岡市内の高校を卒業後、歩希子さんは東京の大学に進学。ゆくゆくはアジアやアフリカで農業開発の仕事に就きたいと考えていたという。海外へ行くことは中学生の頃からの夢。全てが順風満帆に見えた矢先、途上国への渡航に必要な予防接種が体質に合わないことがわかった。同じ理由で抗生物質を服用できないこともネックになった。途上国で働く夢はあっけなく潰えてしまった。

引っ越してきたときに植えた工房の庭のブルーベリー。10年目くらいからたわわに実をつけるようになった。

「将来が突然見えなくなって。ずっと海外へ行くことが夢だったので、急に目指すものがなくなったというか」
教職のための単位をとったり、就職活動もしたけれど、なぜその会社に入りたいかという質問に本心から答えられることはなかったという。

これまで山口さんは歩希子さんの進路に口を挟むことはなかった。
「基本的に娘の人生。僕らは大人の価値判断でしか物事を言えない。もしせっかく芽が伸びているところを摘んでしまったら……何が良いことで何が悪いことなのかは誰にもわからないから」

しかし悩んだ末、山口さんは助け舟を出す。やりたいことが見つかるまで、お父さんの仕事を手伝わないか、と。
すると歩希子さんは素直に頷いた。
「そうしてみようかな」

こうして山口さんは一度は飛び立ったかに思えた雛を再び懐に迎え入れることになったのだった。

後編「初めての弟子」へつづく

取材・文 松本あかね
写真 戸倉江里

2018年8月10日(金)にオープンします

jingoro

〒839-1343 福岡県うきは市吉井町鷹取1557-3
電話:0943-73-7773
E-mail:morinonaka@cyber.ocn.ne.jp
HP:jingoro.jp
営業日:金曜日〜月曜日 11:00〜17:00

山口和宏さんの木の器

パン皿やカッティングボードなどの、日々使う生活の道具。 年月を重ね使い続けることで、自分だけの道具へと。
木の器だからといって身構えず、いつものごはんにおおらかに使ってほしい。 そんな使い方が似合う、山口さんの器です。

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