取材・文 松本あかね
写真 米谷享

今のわたしができるまで 第二回「ユーゴさん」前編

手を動かし続けて、世界を変える
 —ラブ&ピィース!アーチストの感性と、職人の手が生み出すもの

充実した仕事をしているあの人も、輝く雰囲気をまとっているあの人も、
ゼロから突然いまいる場所に立っているわけではありません。
誰もがみんな、ときに迷いながら歩き続けて今のところにいる。
この連載では、私たち“くらすこと”がすてきだと思う方々に、
これまでの道、今、そしてこれからのことについて、お話を伺っていきます。

連載第二回にご登場いただくのは、布ナプキンをはじめ、企業、家庭から集めた廃材生地とオーガニックコットンを組み合わせた布小物などの創作活動を行うtouta.(トゥータ)を主宰するユーゴさん。
お話を伺うきっかけは、「今まで使ったどの布ナプキンよりも、使いやすい」という声を耳にしたこと。見たとたん、きゅんとくるようなかわいさと、生理用品にとって欠くべからざる「実用性」。両方を兼ね備えた布ナプキンを作るには、技術だけでなく「感性」が必要だったはず。自分が感じた「何か」を形にするまでには、いったいどんなプロセスが必要なのでしょう。その秘密を知りたくて、アトリエを訪ねました。

こんな布ナプキン、みたことない。

『touta.』の布ナプキンを初めて見た人は「おや」と思うかもしれません。
まず目をひくのは、丸い形のスナップナプキン。直に肌に当たる部分はオーガニックコットン、表地側には1つ1つ柄の異なる色柄の生地。
それから、くしゅくしゅとしたワッフル地、柔らかなパイル、さらっとしたガーゼはいずれもオーガニックコットンのハンカチーフタイプ。

それは生理用品というより、お気に入りの布小物といった方が、近いのかもしれません。
小さな頃、ポシェットにお気に入りのハンカチが入っていることが嬉しかったように、お母さんが作ってくれたお稽古バッグのアップリケがいつまでも心残っているように。繰り返し洗濯しながら、色褪せるまで身近に使った布小物の思い出と、重なるものが感じられるのです。


『touta.』の布ナプキン「フルセット」、洗濯に便利な野田琺瑯の別注バケツとセスキウォッシュ。この3点で「パーフェクトセット」としてウェブサイトで販売も

月経へのイメージが変わる

「基本、布をあてるだけでいいと思っているんです」
この布ナプキンの作り手、ユーゴさんはいいます。ハンカチーフナプキンはその名の通り、ハンカチを折りたたんで使う感覚。パイルのタイプは、繊維がふっくらと空気を含んでいるせいで、あてたときほっかりと温かい。凹凸のあるワッフル生地は通気性に優れ、ムレないから肌にトラブルがある時によく、ガーゼはふだんのおりものに使ってもいい。量が多いときは重ねてもよいし、そんなふうに状況を見ながら工夫できる自由度の高さも人気の理由です。

使っていくうちに、不快だったり、億劫だった月のものが楽しみになってくるという声も聞かれます。こんなふうに月経へのイメージ自体が変わっていく、多くの女性が共感した布ナプキンには、実はひとりの女性のこれまでの半生が詰まっています。そのバッグステージを追いかけてみたいと思うのです。


アトリエに業務用ミシンの音が響く。布を扱う手元は、確実で速い

吸ってきた空気(町工場、古着)が、
形になる瞬間。

この布ナプキンの作り手であるユーゴさんは、都内でも珍しい路面電車が走り、小さな町工場が軒を連ねる街で育ちました。ご実家も祖父の代から精密機械の部品を作る工場。小さな手でお手伝いしては、工場のおじさんたちに「さすがだねえ」なんて褒められた思い出も。家族や親戚が力を合わせてひとつの仕事に携わる、その背中を見ながら、働き者のDNAは育まれたのかもしれません。

かつて家族経営の町工場が軒を並べた通り。今も残る数軒の看板が往時を偲ばせる

フェーズ1 ファッションフリークな高校生

今日のユーゴさんに連なる最初の緒が見出されるのは、高校時代。
「高校1年のときがアメカジ(アメリカンカジュアル)ブーム。金ボタンのついた紺ブレ(紺色のブレザー)のトラッドなスタイルから、ロカビリー、フィフティーズ、スケーター、季節ごとに新しいスタイルにガラリと変わるぐらい、いろんなファッションにトライするのに夢中でした。センター街でミッキーのTシャツを買ったり、『ステューシー』や『サンタクルーズ』の服を買いに原宿へ行ったり。バイト代のほとんどを洋服につぎ込んでいましたね。」
時は渋谷が古着やレコード、音楽やファッションの流行発信地だった時代。服を着ることは、カルチャーそのものをまとうことでもありました。渋谷や下北沢に古着やレコードの小さなお店がたくさんでき、セレクトショップは海外の新しいものを積極的に紹介。ユーゴさんも東京の高校生としてその空気を胸いっぱいに吸い込んでいたことは、想像に難くありません。

大人の世界では世に言うバブル時代。旺盛な消費欲、物質的世界を謳歌する勢いは自然、若者たちの世界にも、降りてきていたのでしょう。新しいものが貪欲に消費され、さまざまなスタイルが迎えられ、取り込まれ、消費され、また新しい何かがやってくることを、誰もが心待ちにした時代だったのです。


青春時代に集めたトイ、ヴィンテージ雑貨たちがアトリエを見守る

突然の独り立ち

高校の友人、地元の幼なじみたちと、バイトに音楽にファッションに明け暮れ青春を謳歌していたユーゴさん。まだ将来の夢を描ききっている訳ではなかったけれど、進学は服飾系の専門学校へ行くことが決まっていました。ところがそこに晴天の霹靂ともいえる出来事が。それは「そんなに遊んでばかりなら、学費は出さない、家も出て独り立ちしなさい」というお父様の鶴の一声。当時を振り返って「確かに遊びすぎでした」とユーゴさんはいうけれど、まだティーンネイジャーの少女に対し、厳しすぎるお達しに聞こえます。ですがそれも、「働かざるもの食うべからず」の不文律が当たり前に生きる街であり、家風でもあったということなのかもしれません。

高校を卒業後、好きだった古着、そしてアンティーク家具を扱う会社で働き始めると、働き者のDNAがいかんなく発揮されます。もともと関心のある分野ゆえ、意欲も満々。
「ことある毎に社長や上司にいろいろな提案をもちかけていましたね。ちょっと困っていたかも(笑)」
やりがいを感じながら働くこと3年。その後、再び大きな転機が訪れます。ユーゴさん曰く「私の青春、22歳で終わった」、そのきっかけに なったのは、結婚と出産という、大きなライフステージの変化でした。


ハードな業務用機器にレインボー柄のシール。剛と柔が共存するアトリエのひとコマ

フェーズ2 廃材生地×オーガニックコットン。最初のブランド『muese03』

同級生たちが社会人になる頃、ユーゴさんは小さな娘たちとすごす日々を迎えていました。
出産を機にライフスタイルや価値観の大きな変容を迎える女性は多いもの。たとえばこのタイミングで新たに始めたことをきっかけに、自分を再発見したり、その後のライフワークにつながったり。ユーゴさんの場合は、どうだったかというと…

手作り爆発

この頃のユーゴさんは、いうなれば公私ともに「手作り爆発」期。まずは初めてのブランド、レディースとキッズウェアの『muese03』を立ち上げます。
「学歴もない上に小さな子どもがいて、なかなか雇ってくれるところもありませんでした。ならば自営しかないと」。しかしながら初めてのブランド運営には試練が伴いました。契約工場に落雷、支払いを踏み倒されるなどトラブル続き。ついには第二子妊娠中、切迫流産のため休業という事態に。出産後はお子さんの体調が思わしくなく、休みながらも仕事を続けたといいます。娘たちの服を手作りするようになったのはこの頃。
「お金もないから、子どもたちの服を自分で作るようになったんです。『チャンピオン』のスエットをスーツにリメイクしたり、Yシャツからワンピースを作ったり」
時はファストファッション革命前夜。『GAP』の日本上陸、『ユニクロ』の東京進出から間もない頃で、手ごろな値段で手に入る子ども服は多くありませんでした。アパレルへの感度の高いお母さんが娘に着せたいと思える洋服が、簡単に手に入る時代ではなかったのです。
一心に手を動かす日々を送るうちに、これまで感じたことのない感覚が芽生え始めたといいます。「あるもので作るって楽しい」。
そしてこの頃、ユーゴさんはふたりの盟友と出会います。


『チャンピオン』のスウェットをジャケットとスカートに。裏地にはオーガニックコットンを使用

「ママ」友登場! It’s a party time!

世の「ママ友」のイメージは、ひょっとしたら学校時代、なんとなく一緒にいたクラスメート、と似たものがあるのかもしれません。
休み時間を過ごしたり、トイレへ一緒に行ったり。
同じ時、場所を共有 するとき心地よい関係。
とはいえそうばかりでもなく、子育てやライフスタイルの価値観に相通じるものがあると、急速に強い結びつきが生まれる場合があるのも事実。
お互いの家を訪ね合ったり、家族ぐるみで遊びに行ったり。
学生時代以上に濃い友情が育つことも珍しくありません。

ユーゴさんが出会った二人のママが少し変わっていたのは、ふたりの職業がモデルとカメラマンだったこと。
三人が中心になるとお誕生会、ハロウィン、クリスマスパーティも一層ユニークな盛り上がりを見せることに。
「ハロウィンパーティでは、膨らませた風船に端切れを貼って乾くのを待って、二日がかりでお面を作ったり。お誕生会では端切れで作った巾着袋にお菓子入れ、近所の公園に隠して、宝探しゲームをしたり」。
家族ごとの出し物あり、ワークショップ形式あり。
とにかく何かを作ることからお楽しみが始まる、そんなホームパーティがしょっちゅう開かれていたといいます。

子どもたちが小学校に入ると、夏休みや春休みに車にキャンプ道具を詰め込んで出かける旅が恒例に。
下の娘さんが学校の授業でアイヌについて学んだときには、夏休みに北海道のアイヌコタン、アイヌのお祭りを訪ねる二週間の旅へ。
行先だけを決め、友達家族と一台の車に乗りこみ、食事は基本自炊で、後半はクタクタ。
そんな忘れられない旅の思い出がいくつもできたそう。

端切れを駆使したマスクにすでに「廃材循環」の意識が垣間 見られる。ハロウィンパーティにて

「創って遊んで発表する」、ホームパーティで育った子どもたちはティーンエイジャーの現在でも仲良し

みんなの“LOVE”が詰まったバースデーケーキ。手作りならではのパワーが感じられます

「子どもと一緒にとことん遊んだ」

これらのイベントや旅の記録は、スケッチブックに写真、イラスト、文章を納めた手作りブックとして幾冊も残されています。ページをめくってみると、生活記録であり、楽しい思い出であり、作る喜びにあふれた記念品でもあり。その全てを兼ね備えたもので、当時の空気と注がれた時間を濃密に顕わしているもの。子どもたちと過ごした充実した時間がそのまま、凝縮されて残っているようです。めくるページが重たいくらいに作り込んだコラージュにも圧倒されます。この時期、堰を切ったように手を動かし生まれたものたち。当時を思い出し、ユーゴさんが言います。
「パソコンは今ほど普及していなかったけれど、自分でカタログやホームページを作ったり、早くから取り入れていた方だと思います。並行して、モノ作りの面ではアナログな手仕事にこだわっていて。それが面白かったんですね。アナログ的な作業の積み重ねで、表現するべきものも育っていく気がします」

「バースデーパーティブック」には、当日の記録と共に写真やメッセージがいっぱい

北海道のアイヌコタンを訪ねる旅の記録。旅しながら作ったブックはそのまま夏休みの自由研究に

手を動かすことで、インスピレーションがわいてくる。手を動かすことで、「何か」、が少しずつ形になってくる。それを膨大な量と時間をかけて積み重ねることで、ある日ポンとブレイクスルーが訪れる。
その後のユーゴさんの大躍進を思うと、「子どもたちととことん遊んで」、「あるもので手作り」に徹底した「手作り爆発」期、その育んだものの大きさに思い至るのです。

誕生日やクリスマスにふたりの娘さんに贈った手作りのカードは、今も大切に残されている

厚紙に端切れを貼って、トナカイのクリスマスカード。お腹の扉を開けるとメッセージが

お腹を開けると「かわいいえがおがすてきなおんなのこでずっといてね。だいすきだよ♡」のメッセージ

中編へつづく

お話を聞くひと

ユーゴさん
布ナプキンをはじめ廃材生地×オーガニックコットンの創作を手がけるブランド touta. 主宰。布ナプキン協会理事。 “キュート・ハッピィ・ラブ・ピィース !!”をテーマに活動。東京・世田谷の実家の町工場跡にアトリエと予約制ショップ兼マルチスペース「upopo by touta.」を構える。
touta.org