YUMIKO IIHOSHI PORCELAIN

磁器作家 イイホシユミコさん インタビュー
手作りとプロダクトの境界にあるもの

イイホシユミコさんが
陶芸を学んだ大学を卒業するとき書き残した決意表には、
こんなことが書いてありました。

「小さな食器メーカーを作る」

その一歩を進み始めた今回のプロダクトシリーズ。
初めてのシリーズ「unjour」とシリーズ二作目の「bon voyage」。
冬のあたたかな日が差し込むアトリエで、
香りのいいコーヒーをいただきながらお話しをうかがいました。

手あとを残さない

大学の卒業制作で、食器棚の中にいれる器をテーマに、様々な器を作ったそうです。毎日使う食器、使う人の時間を紡ぐ食器。それを「食器棚に入っているもの」というテーマに落とし込んだのは、まさにイイホシさんの器作りのコンセプトの種、はじまりだったように感じます。

そして、そこに並ぶ食器をイメージしたとき、思ったそうです。
「ひとつひとつ主張がありすぎるものではなく、温もりはあるけれど主張しすぎないものがいいと思ったんです。器作りに対する熱い思いがその器自体に表れすぎると、使い手の邪魔をする気がして。だから『手あとを残さない』というのは、私の器作りのコンセプトの一つです」。

手あとを残さない。

そのあたりのほどよい距離感をもったものを考えたとき、その一つとして「プロダクト」という方法が見え、そして、「よりたくさんの人にその思いを伝えるため」という観点からも、始めからプロダクトという選択は、視野にあったと言います。

人と人の手を通し伝わる思い、
気持ちのつまったプロダクト

イイホシユミコさんのプロダクトシリーズ「unjour」は、瀬戸の工房の職人さんによって作られています。

プロダクトを始められしばらくたった頃、サンプルで上がってきたという器を見せて頂いたことがありました。これがイイホシさんが作ったものではなく、職人さん手によるものなのかということに驚いたほど、イイホシさんの思いが形になっているように私には思えました。

それから半年後。プロダクトのシリーズがやっとできたということは、人から聞いて知っていたのですが、ちなつさんのお家で見せて頂いたその器をみて、驚きと共にこうして形になったその情熱と思いに、熱いものを感じずにはおれませんでした。
それほどまでに、完成度の高い、まさにお話しされていたことが形として表れた、そんな器だったんです。

「今回初めてプロダクトを作ってみて、私の思いをいかに形にしてもらうのか、その思いを伝えることが、どれだけ大事なのかということをすごく感じました。改めてプロダクトとはいえ、人の手を通してこそ伝わるんだなと。時間はかかりましたが、その思いが伝わって形になったときの喜びは、自分一人で作った時とは比べものにならない、何倍もの喜びでした。」

unjour」をお届けする箱は、アトリエ近所の小さな工場で70歳のおじいさんが作っておられます。そこから上がった箱を持ち帰り、イイホシさんが一つ一つリボンをつけ、また工場に持って行って組み立ててもらうとか。プロダクトといっても、こんな風にいろいろな人たちの手によって出来上がっている様子を聞くと、プロダクトだから冷たいものという印象は全くなく、機械の手が入っているところもあるものの、あたたかさのある、思いの通った製品だなと改めて感じるのです。

情景が浮かぶうつわ・想いを持てるうつわ

イイホシユミコさんの器作りの始まりは、まず使っている情景が浮かび、そのコンセプトに基づいて作り始められます。「unjour」は1日をコンセプトに、「bon voyage」は旅に持って行く器がテーマになっています。

「旅行に行くと、その土地のものをいろいろなお店で買って食べたいんですが、例えば高知に行ったらね、お店に入って鰹を食べるんじゃなくて、普通の魚屋さんで買って、宿で食べたいんです。その時、紙皿ではいやだし、そんな旅に連れて行くお皿があったらいいなと思ったんです。そして帰ってからそのお皿を家で使っている時でも、その旅のことを思い出すでしょ。そこがいいなと思うんです」

unjour』のシリーズには、1日をテーマにmatinaprés midinuitと朝、昼、夜の名前がついています。器越しに見える日常の風景が浮かびます。

ある食卓で。朝の定番はmatinの器にスープ、パン、サラダ。そんな朝が何年も重ねられ毎日使い続ける中で、ふと朝の昔のことを思い出すとき、その景色には、いつもmatinがあり、matinを見ると、重ねた日々が溢れだしてくる。

子どもの頃、私が敬老の日に初めて祖母と祖父にプレゼントしたのは、近くのファンシーショップで買った大きな湯呑みでした。それはその当時よくあった、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と大きく描かれた、無骨でとてもありふれたもの。けれど二人は、長い間ずっとその湯呑みを使ってくれていました。

私が家族たちに大事に守られている、まだ小さな存在であった頃。楽しかった家族の夕飯を思い出すとき、やさしく笑う二人の姿と共に、そこにはいつもその湯呑みがあります。あの湯呑みはどこに行ってしまったのだろう。今、その湯呑みがほしくてたまらない私がいます。

それは私にとって、ただの「物」としてではなく、特別な時間を共にした大切なもの。何にも変えられない、二人と私を繋ぐ大事な湯呑みだからなのです。 何となく、イイホシさんのいう作りたい器というのは、そんなことなのかなと考えたりしていました。

一歩を踏みだし、これからのこと

「まだまだやりたいことはたくさんあって、これはほんの一歩目。工房の職人さんたちとの関係も、まだ始まったばかりなので、ひとつひとつやりとりを重ね形にしていく中で、『これもできる、あれもできる』ということが出てくるのかなと思います。」

食器棚に並べていくように、きっと今後も様々な器がうまれてくるんでしょう。ひとつひとつ揃えていくのが楽しみです。

朝。我が家の食卓には『unjour』があります。私にとっての「おじいちゃんの湯呑み」のような存在に育んでいけるよう、これから子どもたちと毎日毎日の朝の時間を紡いでいきたいと思います。

藤田ゆみ(くらすこと)