
うーん、怖い質問ですね(笑)。これはご自分から「わたしが質問しました」と言えないかと思われますけれど、夫婦の相談で多々ありますね。整体の中では、性をすごく大切なものとして扱っていて、もっと言うと、これは会話で先にそれを充足させるということが先になります。
つまりコミュニケーションをとっていたらこうはならないわけです。夫婦というより、人間として話をいっぱいしていれば、分散が起きているはずなんです。だけど、それを相手のせいにしてます。
お互いに相手のせいにしたがるっていうことは、「〜してほしい」っていう欲求がお互いにあるのにそれを自分からは言わないで、「相手に言ってほしい」っていう甘えです。甘えによって、こういうことが起きてる。「察してほしい」は無理だと思ってください。それよりは、ちゃんと言葉にしましょう。
「やめてください」って言うことと一緒ですよね。「こういうことは嫌だからやめようね。でも、どうしてかはちゃんと理由を言おうね」っていうことを、1からやることがまず最初。つまり話せばそこから考えることができるんです。
この質問にあるように「夫の性欲がなくなってほしいと願ってます」ぐらいまでいくと、これは自分の問題じゃなくしちゃってて、「生理的なものを理解してもらいたい」っていう次の段階になります。つまり、「男性の働きと女性の働きが違うことを受け入れましょうよ」っていうことですね。
もし、男性から「今日から働きたくない。いいですよね?」って言われたとき、どう感じるか。「いいよ」って言うのか、「嫌だ」って言うのか。ここは、男性が働く=性欲と同じだと思ってください。
つまりやりがい、やる気と、「そのひとのために働こう」っていうのが性欲ですね。それをどうやってコントロールするか。ひとから求められたことじゃなくて、「働くことで認めてもらいたいな」。「頑張ったね」「ありがとう」って言ってもらいたい。だから働く。これが性欲だとしたら、みなさんはどう受け取りますか?
でも女性たちが求めるのは、いつもそういうことではないでしょう。「働いてほしいのに、お金が足りないわよ」って。これはとても切ないですね。ここらへんは、男女で感受性が違うと思って、「どうしてそこまで言うのか」っていう欲求に関してはお互いにちゃんと話す時間をつくりましょう。
男性の機能的な部分で言うならば、自分で納得してもらう方法がいくつかありますし、それを女性もちゃんと受け入れてください。「ごっそり、アダルトビデオが出てきてもよかろう」ぐらいの気持ちで受け止めていただかないと。性欲は生理作用ですから。
それをこの質問のように「やめられませんか?それ」って言われても。「生理作用を止められませんか?」って「おしっこ我慢してください」って言うことといっしょだと思うんですね。「それを相手に求める自分ってどういうこと?」っていう、反対側の想像力も養いましょう。
つまり、「男をやめてくれ」って言ってるわけね。なかなかきつい願いです。そしたら「女をやめてもらえますか?」って返されちゃう。こんなやり取り、寂しくなっちゃいますよね。そこは「わたしだったらそう言われてどうかな」って想像してもらうといいかな。
この質問には性に関することを書いてますけれど、他の言葉をあてはめてもいいと思います。「わたしを認めてくれる?」っていうことですね。「相手に自分を認めてほしい」っていうことがこの質問になっているだけです。
なので、ここらへんは「嫌だ」っていうことが具体的にどういうことかをお互いに出し合って、それから考えましょうね、が一段階目。それから、性行為でしかつながりがないんだったら、それはもう違う関係性になってると思っていただくといいですね。つまり、ふたりの関係はお猿さんですか?ってことです。
お話をすることなしに信頼を築くなんて難しい話です。その上で、最終的な段階として性の話がある。“性行為は、最終的な愛情確認”というところがポイントだと思ってください。その段階をふたりともすっ飛ばすぐらいの、なにかもっと違う理由があるのかな……とこの質問には感じます。
夫婦ってなかなか日々のことに忙しくて、大事なことをお話する時間がないですよね。「業務連絡だけで精一杯」って感じがありますか?
ありました。ずっとそういう時期があって。でも久々にこの間、それこそこの質問を含めた話をして。自分から言っちゃうタイプだから、ひたすら相手の話を聞こうと思ってメモを取ってたら、逆にキレられました。「なに?その上から目線」って。
本当にね、女性の場合は、お子さんができるとご主人をその延長線上に見ちゃうところが出てきて、なかなか共感の方にいかなくなるんです。でもそれは体の状態なんですよね。子育てしてるからそうなってるだけだから。
やっぱりそこは「相手に、寂しいって言われたらどうするか」っていうところはーーお互いに「忙しいから」っていうことがわかっちゃってるから、なおさら言えないのもあると思うので言っとくとーーやっぱり結婚しても夫婦でも、片思いっていうのを覚えておいてください。定期的に告白してください。デートにも誘ってください。そういうものなんですね。定期的にちゃんと愛情確認をしましょう。お互いの意思確認をすることを面倒くさがってると、そういうことが起きてしまうので。
だって最初は、頑張ってデートに誘ったりとか告白したりしてただろう、みんな!(笑)。
そのときはヒヤヒヤしながらやったと思いますから。でも本当にヒヤヒヤなんですよ、ふたりで幸せになってくって。あっという間に崩れちゃうことがありますから。ふたりってそういう人数なんですね。
3人とかなら別なのね。話し合いができる。ふたり、しかも異性だとハッて離れてしまいますから。だからそこは「いくらでも時間をかけていいわ」って思って。もし自分に感情的なものが出てきたら、それはかなり限界まできてるから、話し合えるところまでまず自分の感情のコントロールをする。いろんなひとに話を聞いてもらって、「相手の問題だと思ってるけど、自分の問題かもしれないな」って。
今は冷静に話をしてますけど、当事者は近すぎてそんなふうにいられないと思います。「一緒にいるのが嫌だ」とか、そこまできてたりするので。女性の場合は生理的に嫌だとどうにも受け付けられません。そこまでいっちゃったら、やはり距離を取った方がいいっていうのはありますね。内容としてはお話しづらいかもしれませんが…… どうですか?
一緒に暮らしているので、「そのひとの言うことや行動が嫌」っていうことは多分、そのひとにまだ関心があるんだなって。好きとか、愛してるみたいな感情はわからないし、もともとわかってなかったかもしれない。わたしはこどもがほしくて結婚したところもあったので、それは自覚もあって。相手もいろんな理由があって結婚してると思います。「それぞれ深く考えないで結婚しちゃったよね、わたしたち」っていう前提は確認できていて。
そこの確認はしているんですね。
はい。だから「スタート地点が違うな」とか、「どういうことを求めてるのか」はそれぞれ違っていて。若いときとか、こどもができる中で、いろんな関係があったと思うんですけど、この間やっとやっと彼の話を落ち着いて聞けたような気がするんです。それまでは、わたしのことを言いたかった。ただそれは、「わたしが夫に対して、関心が薄れてきてるかな」ってーー。他人だったり、仕事だったり、ちょっと距離のあるひとなら、「そっか、このひと、こういう感じなんだね」「こういう状況なのかな」っていろいろ想像しながら聞けるのに、夫とか家族になるとやっぱり、パーン!って判断しがちで。「いい意味で関心がなくなってきた方が上手くいくのかな」とか……。そこはちょっと探ってるところです。
今のお話、とってもよかったと思います。愛情っていうのは自分から能動的になった結果、自分が愛情を受けてたことに気づくっていう順番なんです。なぜなら、愛情って蓄積だから。そうしてもらった経験が、愛情に気づかせるっていうのが基本的にあるんですね。
だから今日こうやって話をして、ちょっとわかってもらえたと思うんだよね。
これが親子関係だったら、お母さん、お父さんなりには愛してる。でもこどもからしたら「えっ、わたしは違うから」っていうだけの話。相手に受け入れてもらえないのが「愛してます」っていう感情なんです。けど、愛し続けるのが愛情です。「好きです」は別ですよ。勝手に押し付けてることだから。でも愛情は「あなたがどんなひとでも受け入れたいんです」っていうことを続けることで、すごくエネルギーを費やすことです。だって「別に嫌われてもいい」ってなかなかのことでしょう。
なので、きっかけはなんでもいいんです。そのひととご縁があって生活する。でも生活していくうちにできてくる、「どうしてこのひとと一緒にいると、信頼感、安心感があるんだろう」っていう感覚の方を観てほしいですね。
なんだかわからないけれども、そう感じられる状態が起きてる。これはやはりお互いに相手を尊重した結果、自分じゃない、相手のことを先に考えた結果、できあがってる関係性で、最初は目的があったかもしれませんけれど、今、続いているということが結果なので。この続いている結果を大事にしていただいて、続けたいか、これだけだと思います。
そこはさっき言った「ひとに興味がある」とか、でも「ひとに話しかけるのはなかなか……」ってひとも多くてね。そうすると、わかってほしい気持ちがあっても、「自分からコミュニケーションをとったのに」っていう葛藤を持ってるひとも多々います。
「寂しいから誰かと生活したい」。これは勝手だと思ってください。「寂しいから相手がほしい」。あとは「みんなが結婚してるから結婚したい」。これは自分勝手。結果的に出会ったひともお互いそうだったら、自分勝手に気がついていくことが起きてくるので。なにせ目に見えないからこそ、持久力とか、受け入れるっていうことの問題は大きくて、体の問題でもありますから、不調でやっと気が付くことも多いんです。はじめの質問のように男性の要求はときにあまりに自分本意だったりします。でもかえって、そのときに話し合う機会を持つのはいいと思うんですね。「嫌なことには理由があります」っていうことですね。
だから……そうですね。「ひどいことしてよくそんなこと言えるな」っていうのが違うのはそこかな。“被害者意識”で反応しても、実はそれも暴力なんですね。「こういうことされた」って言うのは、弱いひとが言うこと。被害者意識は暴力です。「自分を受け身にしてしまえば絶対に弱い立場が取れる」っていう、とても権力的な、力の強いひとがやる行為です。これは覚えておいてください。
あと、自信がないひとほど、被害者意識に甘えて、ひとを傷つけるんですね。「わたしは傷つけられたんだ」って最初に言うひとほど暴力的だと思ってください。
それよりは「どうやったら支え合えるかな」とか「どうやったらこのひとと仲良くできるかな」っていう発想を持つ方が健康的ですね。だからここは、ちょっとお休みをしてね。それぞれちょっと距離を置いたほうがいいかもしれません。もし今、それが物理的に難しかったら、間にどなたかに入ってもらえばいいかなと思います。どうですか?
