糸島・海辺の手仕事料理店
“アダンソニア”という、ものさし
『アダンソニア』では、料理だけでなくお菓子も人気だ。
白く柔らかい光を放つシャインマスカットのケーキや、鮮やかな赤が目を引くチェリーのタルト…。
今回聞いたのは、そんな魅力的なお菓子作りの秘密。
ルーツを辿ると、話は作り手である前田ゆかりさんの子ども時代へと遡っていった。
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第3回
お菓子のものさし
〜“作る”は暮らしを楽しくするスパイス〜
◉子どもの頃の原体験が今を作っている
ちょうど旬を迎えていたイチジクが、ペティナイフで小気味よくカットされている。コツン、コツンと刃がまな板にあたる音が心地よい。
ゆかりさんのお菓子作りは軽快だ。手際がよくて、作ることへの迷いがない。エメラルドグリーンのシャインマスカットがホワイトチョコたっぷりのケーキに次々とのせられ、オリーブの葉がアクセントのように飾られた。
仕上がりがケーキスタンドに登り、よく見ると表情が少しずつ違うことに気がつく。果肉や葉っぱの向きが微妙に異なるのだ。「同じ子(お菓子)ができないように、ほんのちょっとだけ方向を変えています。100個あったら100個違うモノを作りたい!」と、楽しそう。チョコ(茶色)とマスカルポーネ(白)のテリーヌをそれぞれ作って対象的に並べたり、お店の前に広がる海の貝殻と、庭の草木をドライフラワーにしてパッケージを作ったり。フォトジェニックで愛らしい、魅せるお菓子。ゆかりさんはお菓子作りを通して、食べる人をワクワクさせることをさらりとやってのける。
それにしても、どうしてこんな独創的なお菓子が作れるのだろうか。ケーキ屋で働いた経験があるんですか? 料理家に従事していたとか? そんな質問を投げると、意外な答えが返ってきた。
「お菓子作りは、独学なんです。強いて言うなら、父親の影響かな? 私が幼いころ父は蕎麦屋をしていたんです。家にはいつも蕎麦粉があって、蕎麦に囲まれて暮らしていました。お茶は蕎麦茶だし、遠足のお弁当には蕎麦が入っていて、ずるずると食べるのが恥ずかしかったのをよく覚えています。なので蕎麦粉はいつも身近な存在。小学校の頃になると小麦粉の代わりにしてクッキーやケーキを焼き、カチカチになったり焦げてしまうから配合を考えて、どうやったら可愛い形になるのかなと研究を重ねていましたね」。
当時は兄弟のために、そしてお店を持った今では、お客さんのためにせっせとお菓子を焼く。「これはあの人が好きそうだなぁとか、誰かを想いながら手を動かすといいものが作れるんです。不思議なことに、想う誰かがいなければ、アイディアも生まれなくて」。幼き少女が心に刻んだモノづくりの姿勢や想いは、大人になってもなお、しっかり記憶されている。
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◉“モノがない”ことが教えてくれる大切なこと
ゆかりさんの言う“父親の影響”は、蕎麦粉のクッキーを作った原体験だけに止まらない。「小さい頃、簡単にモノを与えてもらえなかったんです。ある日父にザリガニが獲りたいと相談したら、トンボを捕まえてなんとかしなさいと一言。きっと多くの家庭では、ザリガニを獲りたいと子どもが言えば網を渡されると思うんですが、我が家は一筋縄では行きません。網も兄弟で手作り。竿とツタとガーゼでせっせと作りましたよ。悪戦苦闘しながらもなんとか数匹捕まえ、父に教わった通りにトンボに紐をつけて割り箸にくくりつけ、川にチャポンと垂らすと…、これが見事に釣れるんです! そして今度は、ザリガニでタコを釣りに行こうと誘われて、ザリガニに針をつけて岸壁に上げ下げしていると、本当にタコが獲れてみんなで大喜び! その夜は、家族でタコを茹でておいしくいただきました。トンボが晩御飯になったね〜なんてワイワイ言いながら」と当時を思い出して嬉しそう。
そんな話が象徴するように、ゆかりさんの幼少時代は、手作りと実験の毎日だったそうだ。友達が持っているピンクのかわいいハンカチが欲しければ草木染をしてみたり、夏の水遊び用にはビート板やイカダを作った。ある時は、お父さんから「学校から帰る時に、食べられる野草を摘んできなさい」という宿題が出て、採ってきた野草は乾燥させて塩と混ぜて…。今でいうハーブソルトの実験を重ねたと言う。
「桜井家(ゆかりさんの旧姓)の話を聞いていたら、この世界は楽しいことで溢れているなぁっていつも思うんです。一冊の本ができるくらいエピソードがたくさんあってワクワクする。今すぐ外に出かけたくなりますよね!」と、横で聞いた夫の達也さんが目を輝かしている。
「うちが裕福ではなかったからなんですよ!」とゆかりさんは子ども時代の思い出を笑うが、作ることが日常だった彼女は、幼少期から“モノづくりの筋力”が鍛えられたのだろう。モノがない不便な状況は、もしかしたら、工夫やセンスを磨く種になるのかもしれない。
話を聞きながら、ついモノを与えすぎてはいないか——。自分にも、子どもたちにも。そんなことを考えていた。
ゆかりさんの“お父さんトーク”にすっかり魅了され、気がつけば取材の予定時刻を大幅に過ぎていた。帰り際、目に止まったのは、テーブルの上にあった編みかけのカゴバッグ。聞けば達也さんが自分の気に入ったバッグが欲しいと思い立ち、自らバッグを編みはじめたそうだ。
「うちの父は蕎麦を打って、彼はパスタを打つでしょ? そして、ふたりとも作ることが大好きで…。なんだか私、似たような人と結婚してしまいましたね!」と、これまたチャーミングな笑顔を見せてくれた。
写真 白木世志一
構成・文 ミキナオコ
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これからの公開予定
「子どもの一番の友達になる」、「家族がバラバラになるくらい仕事が忙しくなったら、店をやめることにしている」…。前田さん一家が、仕事と子育て、暮らしと向き合って見つけた独自の家族のあり方。
アダンソニア
福岡県糸島市にある海辺の料理店。地元の食材を使った季節のコース料理が楽しめる。店の顔とも言える手打ちパスタと、フォトジェニックなデザートが人気。丁寧な手仕事にファンが多い。
〒819-1614 福岡県糸島市二丈浜窪396-1 Tel:092-325-2226
12:00〜17:00 (売り切れ次第終了) / 木、日曜休
*ランチ12:00〜、13:30〜、カフェ15:00〜で、共に予約制
http://adansonia.petit.cc