
「小さな森 イスキア」の集いでは、その日に会ったメンバーが自己紹介をした後、皆でおむすびをつくる。そして紀美子さんの心尽くしの料理をいただきながら、自然とおむすびの話やそれぞれの話へとつながっていく。
この日、吉田家のダイニングテーブルを囲んでいるのは吉田俊雄さん・紀美子さん夫妻と「くらすこと」の藤田ゆみさん、「カオリーヌ菓子店」の店主で料理研究家のかのうかおりさん、そしてカメラマンの戸倉江里さんとライターの松本の6名。
このメンバーでこれからおよそ半日をともにする中で、思い思いに自分の話をすることになる。イスキアの集いとはどんな場なのか、ご夫妻がしているのはどんなことなのか。初女さんが亡くなるまで心血を注いできた活動とは何だったのか。そのことを伝えたいという思いから、ここでその一端を紹介する。
全員がテーブルにつくと、俊雄さんが初女さんとの出会いについて話してくれた。
「初女さんとの出会いは、初女さんが出演された『地球交響曲vol.2』の公開後の講演会。1998年10月でした。その頃の僕は企業に勤めており、厳しい事業環境の中でどうしたら自社が強くなれるのか、責任者としての課題で頭がいっぱいだったのです。でも、初女さんの存在感から何かを感じたのだと思う。楽屋へ行って『今度、イスキアを訪問させていただけますか』とお願いをしたのです」
「『森のイスキア』は4月末まで積雪のためにクローズしているので、5月にいらっしゃいと約束をしていただいたのですが、その間に大学4年の息子を亡くしたのです。
喘息の発作で意識不明のまま3週間入院して、逝ってしまいました。そのとき僕は息子のことを何も知らないと愕然とした。それまでの自分は仕事しかしていなかったと気がついた。会社のためと思って仕事をしていただけで、家族のことを忘れて、結局のところ自分中心の生き方だったと思い知りました。偉くなって給料を家に入れれば父親の仕事は終わり、息子が社会人になったら一緒に酒でも飲もうかってね、高度経済成長期の男性の一般的な考え方だったと思います。しかし、その3週間を通して、息子が何かを伝えようとしていると感じて、それをちゃんと探して受け止めて生きていこうと決心しました。これからの生き方を息子から問われているような気がしたのです」
「初女さんと初めて会ったときのことはよく覚えています。
『この人の存在感ってなんだ? 観音様のようだ』。
そのとき、『存在』という言葉が頭の中にキーワードとして入ってきたんです。息子は3週間、そこにいてくれるだけで僕の生き方をガラッと変えた。僕の悲嘆を全部受け止めてくれた。人はいるだけでこんなにも、人の人生を変える大きな力があるんだと、息子と初女さんから教えられたんですね」
「息子と初女さんとの出会いから、僕のなかに『存在』というキーワードが生まれた。紆余曲折ありましたが、相手という存在を大事にすることは、相手と自分との違いを受け入れることだと学びました。
僕はここに来た人たちから教えられているんです。苦しんでいる人からその人の本当につらい話を聴いているとき、心から『あなたはそのままでいいのですよ』という思いが沸く。その人がどんなに苦しんでいても、そのままでその人が本当に大切な存在だと思う自分がいて、そのことを発見する。それは、自分って本当はそんな自分だったのかという気づき、喜びをいただくことでもあるんです」
「小さな森」では参加者全員がおむすびをつくる。
「よく初女さんがおっしゃっていたのはね、『私は三角ができないから、まるになった』って」
紀美子さんの声を聞いて、みんなの肩から力が抜けた。
「こうあらねばならないということは何もおっしゃいませんでした。大切にしておられたのは、食材もいのちとして扱うこと。だからこの圧の掛け方も、お米の一粒ひと粒が呼吸できるようにとお話されるだけ」
俊雄さんの手のひらでおむすびがまるく形作られていく。
茶碗にご飯を薄く、層を重ねるように盛る。
お米とお米の間に空気の層をつくるように。
手を濡らし、水気を切って塩をひとつまみ、手のひらにまぶす。
よそったご飯を手に受け、お米が呼吸できるくらいの力をイメージしてむすぶ。
「私も手のひらに塩をつけて、と母に教わりました」
とかのうかおりさん。
「母のむすび方で子どもたちとおむすびをむすぶと、自分が子どもの頃に、目の前でおむすびを手際よくきれいにむすぶ母に憧れた感情が蘇ります。小さな手でお母さんと同じ大きさのおむすびをむすぶのは難しいんですよね」
「コロナ禍以降、衛生面で気を遣うところはありますが、直接食材に触ることって大切なことだなと思います。触れることで自然を近くに感じられるから。おむすびって奥が深いなぁ」
台所から温かな湯気が上がり、いい匂いが漂ってくる。「どなたか、昆布締めを切ってくださいな」、紀美子さんから声がかかる。
みんなのおむすびと、紀美子さん心尽くしの料理がテーブルに並んだ。食事が進むうちにリラックスして、舌も自然にほぐれていく。
「初女さんとはよくお料理はされたのですか?」
とゆみさんが聞くと、
「あまり一緒にする機会はなかったけれど、横で見ていると調理の仕方は本当に丁寧でした。生き方に通じるとおっしゃっていたから。ほら、大雑把なひとはぱっぱとするし、丁寧なひとは丁寧にするでしょう」
と紀美子さん。
「初女さんの台所というのは、 CDブックにもなったくらい、静かなんですよね」
と俊雄さんが続ける。
「お米を洗うのも、両手で掬って、やさしく擦り合わせるように洗う。トントントン、包丁がまな板にあたる音。心臓の鼓動より、同じくらいか、ゆっくりですね。心臓の鼓動より早いと、急いでいるという感じになります。初女さんのは音を聞いているだけで、ゆっくりした静けさ、安心感があるんですよ」
料理をするとき、初女さんはひと言も口をきかない。その集中力にはただならないものがあったという。
紀美子さんは言う。
「アスパラの茹で方なんてすごいです。横にいたら、お坊さんが瞑想をするような・・・、気が違うんです」
「僕もそれを感じました。この気はね、隣にいる人の背筋を伸ばすほどでした。初女さんに東京の我が家で男の料理教室をやってもらったとき、各々にんじんの皮をむいていたんですが、初女さんが人参に刃をあてたとたん、横にいた私の背筋がぱーんと正されるような気が来たのです。
ご年齢から少し耳が遠かったということもあるけれど、初女さんが『料理をしているときに話しかけられても聞こえない』とおっしゃっていたのは本当だと思いました。まあ、すごい方でした」
青菜を茹でているとき、青菜の緑が鮮やかに、輝くような瞬間がある。そのときに火を止めて水に放つと歯ごたえもよくおいしい料理ができる。そのとき、茎を見ると透き通っている。
このときを「いのちの移し替えの瞬間」と初女さんは呼んだ。
「それまで野菜として生きていたいのちが、今度は私たちのいのちとして永遠に生きていく。その瞬間です。このように食材のいのちをどう調理したらおいしくなるだろうか、生かせるだろうかと、初女さんはいつも考えていたと思います」
と俊雄さん。
「森のイスキア」のスタッフによれば、同じ野菜も買ってきて1日目と2日目では状態が異なる。だから初女さんは、野菜の状態に応じて調理の仕方を変えていたのだそう。どんな状態にあっても100%生かす、それは人に対するときも同じ。
「野菜や食材にかける気持ちと人を見る目が共通していました。その人が100パーセントを生きるにはどう寄り添えばいいのか要するにいるだけでいい。いるだけでいいとは、ここにいる自分という存在を、人のために生かすということ。つまり、相手が主体なんです。僕は初女さんのそばで料理の話を聞きながら、そういうことを学んできたんです」