子どもの本専門店メリーゴーランド京都
鈴木潤さんインタビュー

子どもの本専門店メリーゴーランドは、読み聞かせや読書会、展覧会、ワークショップなど、子どもたちと本の世界とを繋ぐイベントを積極的に開催しています。京都店の店長・鈴木潤さんによるブックトークもそのひとつ。同店を任された2007年以降、関西方面を中心にゆるやかに大切に続けてきた会で、東京での開催は今回が初めてだったそうです。  ブックトークのことや本屋さんというお仕事のこと、今回紹介しきれなかった本のことなど、うかがいたいお話がたくさんあったので、トーク終了後にインタビューを受けていただきました。

私だからできること、伝えられること

——今日はおつかれさまでした。鈴木さんの柔らかな語り口に、集まったお母さんたちも子どもたちもリラックスしながらとても集中していましたね。まずは、このブックトークを始めたきっかけを教えてください。

四日市店にいた時はずっと企画する側だったのですが、京都店に移り、結婚して子どもができた頃から、「今の自分にしかできないこと」を意識するようになりました。子どもの本専門店の業界を見渡してみると、1970年代頃にできた専門店のオーナーはいまだいたい60歳代で、みなさん個性の強い方ばかり。彼らにできて私にできないことはもちろんたくさんありますが、逆に私くらいの世代にしかできないことだってある。メリーゴーランドには、子どものために絵本を選びに来てくれる方が多いですから、そういう方たちに聞いてもらいたいこと、私自身子育て世代の女性だからこそ伝えられることが、たくさんあるのではないかと思ったのです。それに私はメリーゴーランドで子どもの頃から本を買ってもらっていたので、メリーゴーランドで育ったようなものなのですから、これは強みだと思います。

——ブックトークを通して、鈴木さんが一番伝えたいことはなんですか。

絵本を「子どものもの」と決めつけてしまうのではなく、親や教師といった大人たちにも楽しんでほしい、ということですね。子どもに熱心に絵本を読ませようとする大人はたくさんいますが、なかにはそれを教育の一環だと捉えている方も多いようです。教育というのは子どもの成長に合わせて行われるものですから、ある時期を過ぎると「絵本はもういいだろう」「もっと字の多い本にしたら?」と、なるわけです。でも、読書にはそういう線引きはいりません。絵本を、「与える」ものではなく、「一緒に楽しむ」ものと捉えてほしいんです。お父さんやお母さんには、子どもの好みを大事にするのはもちろんですが、自分たちでも本屋でじっくり吟味してもらって、本当にこれだと思ったものを買ってほしいですね。「お母さんこの本すごく気に入ったんだけど、どう?読んでみる?」と誘うくらいのつもりで。絵本以外の読み物でも同じです。メリーゴーランドには学校の先生が図書館の本を選びにくることも多いのですが、私は「騙されたと思って、まずはご自身でこれを読んでみてください!」と先生に本を勧めるんです。先生が子どもに本を紹介するときに、「これは本屋さんお勧めの本です」と言うのと、「これ、昨日読んだけど、すごくおもしろかった!」と言うのとでは、後者の方が断然効果がありますよね。そういう情熱とか興奮って、ダイレクトに子どもに伝わると思うんです。ごくシンプルなことなのだから、教育という言葉で括ったり、「いま読ませるべきなのはどのような本か」と考えたりしなくていいと思います。

本気で子どもと向き合っている本

——ブックトークで絵本を丁寧に紹介する鈴木さんを目の当たりにした者にとって、実に説得力のあるお話です。鈴木さんが紹介する本を選ぶ時、何か基準や条件はありますか。あるいは選んだいくつもの本たちには、どのような共通点があるのでしょうか。

こうして並べてみると、やはり共通点は「絵」にありますね。心の底からおもしろがって描いたんだろうな、魂をこめて描いたんだろうな、と感じられる絵が好きです。作家さんの絵を描くときの気持ちは、実際のところどうなのかはもちろんわかりませんが、本気で子どもと向き合っているかどうかはとても重要で、絵を見ればそれは伝わってきます。大人が創ったウソの子どもの世界をなぞっているようなものに出逢ってしまうと、思わず「本気でやってんの?」と突っ込み入れたくなります。子どもにこびていない、子どもだましではない絵やお話にこそ心を動かされます。

——今日のブックトークで紹介しきれなかったもので、何か一冊とっておきのお勧めを教えていただけますか。

『はちうえはぼくにまかせて』という絵本を持ってきました。トミーという子が、夏休みに旅行に出かける近所の人たちの鉢植えを、片っぱしから預かって世話を引き受けるお話です。すごく上手に育てたものだから植物たちはどんどん大きくなって、しまいには家の中がジャングルみたいになってしまう。忙しくてトミーを遊びに連れて行ってやれないお父さんは、家で好きなことをしてもいいと言った手前、不満だらけなのにうまく叱れません。その、子どもが大人をやり負かすあたりがなんとも愉快なのです。大人の都合で出かけられなくなってしまって、それでもいじけることなく自分の力で考えて、図書館で園芸の本を調べて、剪定や株分けまでするトミー。小気味いいですよね。

——絵本の世界では珍しいパターンの物語なのでしょうか。

この本はアメリカでは1959年が初版ですが、同じ時代に日本の子どもの本ではなかなかこういう発想はなかったのではないでしょうか。その点、外国の子どもの本にはドキッとさせられるものが多いと思います。子どもは基本的に大人より立場が弱く、自分の力でできることは少ないとされていますから、そういう固定観念をひっくり返してくれるお話はおもしろいです。

はちうえはぼくにまかせて
ジーン・ジオン/著 マーガレット・ブロイ・グレアム/絵 もりひさし/訳
1981年、ペンギン社

——これは1980年代にアメリカで刊行された作品ですが、今日のブックトークで紹介されたなかにも、同年代の絵本が2冊ありましたね。

絵本選びは自分の好みに従った方がいい、とトークで言いましたが、私の好みはけっこう偏りがちで、外国の古い絵本、特に1980年代頃のものが好きなんです、なにより絵の雰囲気が素敵で。それに、時間が作品を育てているという面もあります。昔のものが今でもちゃんと残って版を重ねているということは、その作品に力や魅力があって、しっかり読み継がれてきた証拠ですから。そういう私の好みは、当然メリーゴーランド京都店の品揃えにも反映されていて、見る人が見たら「偏ってるなー」と思うかもしれません。

——ご自身の好みがはっきりしているからこそ、他の人にも自信を持って本を紹介できるのですね。ちなみに、絵本や子どもの本以外ではどのような本を読まれるのですか。

須賀敦子さんや幸田文さん、安房直子さん、岩瀬成子さんが好きです。幸田文さんのエッセイでとても好きなものがあって、「藤」というこれまた鉢植えが出てくる話。夫と別れて幼い娘と一緒に実家に出戻った頃の文自身のエピソードです。ある日お寺の境内に植木市が立って、父・露伴が「娘が好む木でも買ってやれ」と文にガマ口を渡します。それで植木市へ行くと、娘はなんと一番高価な藤の木を指さすのですが、とてもガマ口の小銭で買える代物ではないので、文は笑って他のものを勧め、結局娘は小さな山椒の木かなにかを選ぶ。そこまではわりとのどかな雰囲気だったのに、家に帰って事の次第を報告すると、露伴が激怒するんです、娘は本当にこれがいいと言ったのか!と。藤は高価すぎると事情を説明したらさらに怒って、借金してでも買え!一番ほしがったものを買ってやれと言っただろう!と一喝。なにもそんなに怒らなくても、とも思うのですが、「市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目をもっていたからのこと。なぜその確かな目に応じてやらなかったのか」となかなかもっともなことを言っています。短いエッセイではありますが、とても好きな場面ですね。

——「娘の好みをひたすら信じなさい」という露伴の態度、今日のお話とも通ずるところがありますね。だんだん鈴木さんのお人柄がわかってきたような気がします(笑)。

子どもの本専門店として、露伴に見習うべきところは多いかもしれませんね!

心のどこかに大切にしまわれていたイメージ

——さて、鈴木さんがたくさんの絵本を紹介するにあたって、やはりそれらがずっと子どもたちの心に残ってほしいという気持ちは強いかと思います。ご自身にとって、そういう思い出の一冊、忘れられない絵本はありますか。

あります。絵本って、人にあげたりとか捨ててしまったりとかで、もう残っていないという方もけっこう多いですが、私の場合は、親が幸い本を一冊も捨てずにとっておいてくれたんです。それで、大人になってからもたびたび引っ張り出して読んでいたのが、岩波書店版の『ちびくろさんぼ』です。この作品をめぐっては、もともと手作りの絵本として生まれたものが無数の海賊版として流布した経緯や、1980年代の日本での一斉絶版など様々な問題がありますが、物語を楽しむ子どもにとっては、もちろんそういう大人の事情なんてまったく関係ありませんでした。

——子どもの頃、『ちびくろさんぼ』を読んでいた時のことも覚えていますか。

しっかり覚えています。本の記憶って、その本だけにとどまるものではないと思うんです。本を広げていた畳の色とか匂いとか、当時のお母さんの服の柄とか、どうでもいいようなことも一緒に記憶されています。ある本と出逢って、読んで、その後読まなかった時期が長くあったとしても、たとえば20年後に不意打ちのように目の前にその本が現れたら、すべてがよみがえるんです。あの記憶のスイッチが突然入る感覚ってすごい。絶対に本人にしか分からない喜びです。たとえば私の場合、『ちびくろさんぼ』の2話目のお話と、大人になってから衝撃的に出逢い直しました。子どもの頃から好きだったのは、やはりトラがバターになってしまう有名なお話の方で、長い間それだけを『ちびくろさんぼ』として認識していたのですが、2話目に登場するさんぼの双子の弟たちのイメージが、自分でも気づかないうちに心に焼きついていたんです。弟たちが身体に大きなリボンを巻きつけているという、かわいいけれどもなかなかシュールなイメージで、私はそれをなんだかわからないのになぜかとても懐かしく思い出しては、気持ちをざわつかせていたんです。大人になってから、ふとその『ちびくろさんぼ』の2話目をもう一度読んでみた時、「あのイメージはこの挿絵だったんだ!」とようやく気づきました。子どもの頃の絵本との出逢いは、たとえ具体的に思い出すことができなくても、なんらかのかたちで心のどこかに大切にしまわれているのだと思います。

——その心のどこかにあるイメージを、子どもとの絵本のある生活のなかで共有し合えたらすばらしいですね。最後に、今回のブックトークでもお話されていた「物語を共有する喜び」についてもう少し教えてください。具体的に、どのような瞬間にそういう喜びを感じますか。

ちびくろさんぼ
ヘレン・バンナーマン/著 フランク・ドビアス/絵 光吉夏弥/訳
瑞雲社、2005年
絶版となっていた岩波書店版(1953年)が17年ぶりに復刊。もともと1冊に収められていた2話のエピソードを2冊に分け、さらにヘレン・バンナーマンの別の著書を第3巻とした。

それは、親子の間だけで起こることではありません。たとえば、以前イギリスの子どもの本専門店で、店主の女性とイギリスの児童文学の話をした時のこと。最初はその頃爆発的に流行っていたハリー・ポッターのことなどをなんとなく話していたのですが、「あなたは児童文学では何が一番好きか」と聞かれて、私が『トムは真夜中の庭で』と答えたら、その女性は突然目を輝かせて「私も!」と言うので即握手しました。初対面の二人の距離が一瞬で縮まりましたね。『トムは真夜中の庭で』は1950年代の作品で、私が小学生の時に大好きだった本です。全然違う国の、全然違う時間を生きてきた私たちなのに、好きな本が重なっただけでもうお互いに信頼して仲良くなってしまったんです。それはまるで『トムは真夜中の庭で』の少年トム・ロングの体験にも似た、時空を超えるような夢見心地の瞬間でした。そういう瞬間のたびに、「本屋はやっぱりやめられない」と思います。だって少しでもたくさんの子どもたちにこの喜びを味わってもらいたいから。

——お話をお聞きしていて、鈴木潤さんのブックトークは、まさに物語を共有し合うのに最適な場なのだと思いました。これからも、ご自身がその瞬間を味わうとともに、たくさんの子どもたちにその喜びを伝えてあげてください。本日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。たくさんの子どもたち、大人たちが本に出会うきっかけを見つけてくれますように!

鈴木潤(すずき じゅん)
三重県の「子どもの本専門店メリーゴーランド」で13年、企画を担当。児童文学や絵本の作家のアトリエ、チルドレンズミュージアムなど海外を歴訪。07年の京都出店に伴い店長就任、京都に移住。09年夏に長男、13年に次男を出産。雑誌やラジオなどで子どもの本を紹介するなど、子どもの本の普及に力を注いでいる。少林寺拳法弐段。 milkjapon.com/blog/suzuki/

文:石鍋健太
1982年生。東京都世田谷区下北沢の古書店クラリスブックスに勤める傍ら、フリーライター・エディターとしても活動。二児の父。