見えないものを語るインタビュー

小川純一さん/カウンセラー、アーティスト その2

自分にいまできることは、祈りしかない

僕のまわりの友だちは、「絶対、原発やばくなるから」って、地震の当日にみんな西に行ったんですが、ほとんどの人は全然焦ってもない状況で。
僕もだんだん胸騒ぎがしてきて、その次の日に実家の大阪に帰ったんです。そうしたら、その日の昼に水素爆発したんですね。

西に行っちゃった自分にもすごい罪悪感を感じていたし、福島にボランティアに行くことも、東京にいることもできなかった。
だから、自分にいまできることは祈りしかない!と思って、奈良に三輪山っていう大神神社がある山があるんですけど、
その山に知人と裸足で登ったんです。3月のめっちゃ寒い時期に、「裸足のほうが祈りが届くかもしれん!」って言って2時間(笑)。
途中から「やめとけばよかった、もう最悪やわ!」と思いながらも、必死で「僕の身体をお使いください」ってお祈りしながら登ったんです。

nomimonoya.のケータリングも上り調子だったんですが、震災でその仕事も全部なくなってしまって。
そんなとき知人から、「葉山の家が1軒空いてるから、引っ越してこない?」って誘われて、
これは何かのお導きかもと思って、すぐに引っ越したんです。

葉山ってスピリチュアルなものが、生活のなかに自然とあるんですね。
たとえば、風邪をひくこと=浄化って感覚を、普通にみんながもっているというのは、すごく暮らしやすくて。
まわりに、ヒーラーや地震予知できる友だちだとかも普通にいるからね。
そこからどんどんそんな世界にはまっていって、独学で瞑想したり、般若心経を毎日読むようになったり、
ヨガも始めたり。食事もさらに厳選したものだけにし、断捨離もして、家はすっからかんで。
東京の大きいケータリングだとか、消費されていくような感覚のお仕事も全部断って。
そんなふうに、生活を一気に小規模にしていったんですね。
そうしたらある日突然、わっ!ってスピリチュアルな能力が開いちゃって。

突然そうなったので、最初は、これを仕事にしようとかも考えていないし、
新しいおもちゃをもらった子どもみたいな感じでしたね。
そうしたら、見えない幽霊たちとか、いろんなものが、「あいつ、見えるらしいで!」みたいな感じで連携を取り合って寄ってくるんです(笑)。最初のうちは、自分をガードすることも、選別することもできないから、乗り移られたりして、とにかくすごかったんですね。それで1ヵ月ぐらい、外に出られなくなっちゃって、ヒーラーの人に相談に行ったんです。
そうしたら、「デトックスして本来の自分に戻っただけで、それはあなたの才能だから、きちんとおつきあいしていかないといけない。人間は、いずれみんなそうなっていくから、たまたまあなたがちょっと早かっただけよ」って言われて。

しかし、こんな自分とつきあっていくっていっても、どんなふうにつきあっていけばいいのかもわからないし、
どう自分を活かしていけばいいのかもわからない。スピリチュアル系の人はたくさんいても、生活の視点からみんながわかりやすく、ファッションやアート、食とかに絡めながら、全部を一緒のこととしてやってる人なんてひとりもいなかったから、どうしたらいいんだろうって迷ってたんです。

そんなとき、物件でも見て新しい希望をもらおうと思って、気分転換に不動産屋さんに行ってみたんです。そのときは、生活もどんどん小規模にして収入もほとんどなかったんで、安めの家賃で探していると伝えたんですね。じゃあこのファイルを見ててって言われて、ペラっとめくった一発めが、希望していた家賃の倍以上のこの家で。とにかく見たい衝動に駆られて、そのまま見に行きました。

この家に入ったときに、長いテーブルを置いて、たくさんのいろんな人が出入りしてるヴィジョンが見えたんです。
それでこの景色だし、もう、ここに呼ばれてると思って、申込書をバーッて書いて帰ってきたんです。
そうしたら、次の日に大家さんから断りの電話があって。きっと僕がまだ若いから変に思われたんだと思うんですね。
声が聞こえるときって、ほんとにあるんやなって思ったんですけど、そのときに「セッションしていきなさい」っていう声が、
フッと降りてきたんです。自分で選んでこういうふうになったわけじゃないから、自分でもちょっと抵抗があったんですが、
はっきり「しなさい」って聞こえてきたから、していくんだなと思って。
それでもう1回、不動産屋さんに電話したんです。そうしたら大家さんが会ってくださって、
ここに住むことが決まったんです。そんな流れで、この仕事を始めるにいたったという感じですね。

ほんとに生きていくのが辛かったから、
単純に救われたかったんです

──いくつかハードルがあったと思うんです。肉やインスタントの食事をその日からすべて絶つってことは、生活全般をガラッと変えるということで、簡単なことではなかったと思います。また、好転反応が出たときに挫折して、元の生活に戻ってしまう人も多いと思う。そんないくつかのハードルを超えられた理由は、なんでしょうか?

まず、好転反応は自然療法的な考えでもあるから、
専門家の方のアドバイスをもらって、辛いときは無理をしないというのが大前提だと思うんです。
僕もかなり辛かったんですが、それでも意志をとおしきれたのは、
やっぱり単純に救われたかったからです。ほんとに生きていくのが辛かったから。
みんなみたいに、うまくできない人だったから。
学生のころから、運動神経もないし、漫画ばっかり読んでて、ひどく地味だったんです(笑)。
イケてなさすぎて、20歳超えたとき、中学と高校の卒業アルバム捨てましたもん(笑)。

大人になってからもコンプレックスの塊で。
カフェの店長とかもさせてもらってましたけど、自分に自信がなくて、
その自信のなさを見せたくないから、大きく見せようとして、人に対して強く当たってみたり。
全然満足できていないし、もっとすごい人いっぱいいるし、自分なんかって、すごい卑屈だった。
もう、どうすることもできなかったから、これで変われるかもしれないって。

けど、それは僕だけじゃなくて、みんなもそうで。
ほんとにそんな辛い毎日を送っていたら、明日、大病を起こして、宇宙が全部を止めにかかるかもわからない。
それをどこかで魂が知っていたから、なりふりかまわず突進できたんやと思いますね。
本当に、なによりも救われたかったから。

小川純一さん/カウンセラー、アーティスト その3」へつづく

the art of aura session9月19日、くらすことでは2度めとなるメディテーション・レッスンと、初の試みであるジ・アート・オブ・オーラセッションの2部構成で、小川純一さんのワークショップを開催予定。午前は、集まったみなさんで一緒に、心のシャワーともいわれるメディテーションを。午後は、オーラやチャクラを見てもらいながら自分を深く知る、個人セッションです。この日は、月のパワーが満ちる満月。あなたをもっと癒し、あなたをもっと知るために、ぜひお越しください。

小川 純一(おがわ じゅんいち)
大阪出身、鎌倉在住。雑貨のバイヤーや「nomimonoya.(ノミモノヤ)」という名称でのケータリング活動などを経て、2011年の震災を機に、瞑想や自然療法、スピリチュアルなどを新しい視点から捉えた食と暮らしの提案をする。現在は鎌倉に「Yama no atelier (山のアトリエ)」を構え、個人カウンセリングや瞑想ワークショップ、イベントなどを企画しながら活動。2013年に自身のドローイング集 「transcription product」を発売した他、 現在はスピリチュアルマガジン「Meme」の発行も計画中。活動の幅を広げている。
http://junichiogawa.com