川原真由美さんインタビュー その1

原画展の開催に先だって、川原真由美さんにイラストについて語ってもらいました。
絵を描くことが得意でもなく、興味ももっていなかった川原さんが
それを仕事にしたのはどうして? 苦しくても続けるのはなぜ?
ちょっと視点を変えるだけで描くことが楽しくなるコツも教えてもらいました。

既成概念から自由になる

絵画って、上手に描けない=絵が描けないってなりがちじゃないですか。でもそれは、絵が描ける=上手、という、大人になってからの概念をもとに絵が描けないと言っているだけ。本来の意味は隠れてちゃってるんですよね。定義を変えれば、本当は誰でも、その人なりの絵が描けるんです。
そういう既成概念って、絵を描くときだけではなく、たとえば美術館で作品を見るときにもありますよね。「私はアートのことはよくわからないから」って、はなから感じることをやめてしまったり。でも、「私はこれが好きだな」って見かたを変えるだけでも、世界が広がると思う。
それってきっと、どんなことでもそうだと思うんです。子どもみたいに。子どもはすごい自由なはずなんだけど、自然に大人を見習っていくもんだから、だんだん大人のように固い頭になっていっちゃうんですよね。だから、たとえばお母さんや学校の先生がやわらかい頭でいられたら、それは子どもにも影響するんじゃないかな。
前に、友人から聞いた実験で自分でもやってみたのが、描いている手元をいっさい見ないで、鏡に映った自分の顔だけを見て自画像を描く、というもの。すると、目や鼻の位置がすごいずれまくる。どこを描いていないのか、どこが描き終わったのかわからなくなって、眉毛が3つになったり。でも、その線って、いきいきしてるんです。たぶん、確認せずに描いていくことで、意識が違ってくるんですね。目から頭のなかに入ってくる情報と手が描くという作業が、離れるのか近づくのかはわからないけど、変わってくる。実物に忠実に描かないといけないのか、グチャグチャでは成立しないのか。ちゃんと描くっていうことが絵なのか。そもそも、「ちゃんと」ってなんなのか。今回のワークショップでは、詳細は秘密ですが、「線を画く」という体験をとおして、参加した人それぞれの答えを見つけてもらえればと思っています。なにがいいかではなくて、ちょっと見かたが変わったら世界が広がるよって伝えられたら。ただ「線を画く」っていう、いちばん単純なことから。

──絵を習うってことではなくて、新しい見かたに自分で気づくきっかけになるとおもしろいですよね。

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絵が描けないという特異体質

私、じつは絵が「うまく」描けなくて。美大に行く人って、たとえば建築が好きとか具体的なことがある人以外はだいたい、昔から絵をよく描いてて、まわりの人からも上手だねって言われてるような人が多い。私、まったくそういうのがなくて。だから美大に行きたいって言ったとき、なんでそんな降って湧いたようなことを言うんだって、親にすごい反対されたんです。

──なぜ美大に行きたいと思ったんですか?

他に行きたいところが思いつかなかった。いまだったらきっとみんないろんな進路を選択していくと思うんですけど、当時は基本的に、なにがやりたいっていう以前に、どこの大学に行くかっていう感じで。
2年生のときに、理系、文系、美術、音楽ってクラスが分かれるから、選択しなくちゃいけなくて。理系にも文系にも音楽にも、そのときの自分と将来につながることが見えなくて、でも美術はなにかあるかもって思ったんです。なにがやりたいってことよりも、その世界にふれてみたいって。だから、まさか絵を描くようになるとは思ってなかった。じつはいまもそんな感じなんですけどね。
私はものの形を頭のなかに記憶できなくて、見ないとまったく描けない。対象を見ずに描くという能力が、異常に欠落してるんです。特異体質ですね(笑)。よくテレビのバラエティとかでやってるじゃないですか。記憶力テストみたいなので、お題を出してそのものを見ないで描かせて、とんでもない絵ができあがっちゃうやつ。私、あれとまったく同じで。

──ええ(笑)!?

まわりの人にはおもしろがられて、私のその絵が見たいから、会社時代にはよく描かされましたよ(笑)。だからまあ、いつもけっこう新鮮に描けるっていうのはある。そのものに初めて出会ったみたいに(笑)。昔はそれがコンプレックスだったんだけど。たぶんそれですごく上手になってしまったら、描くことで出会う新しいことっていうのは、なくなってしまうのかも。

──表現の話をしているとよく、いかにうまくならずにいられるかっていう話になって。あるミュージシャンが、うまい人は世界にいくらでもいるから、それは他の人にまかせる、僕だけにしかできないことを続けるために、いかにうまくならずにいられるか努力をしてるって言ってました。

私はいくら描いてもうまくならないから(笑)。最初のころはコンプレックスがあったから、それを隠すように「うまく」描く方向にもっていこうとしていました。それで、「うわあ、私にもできる!」って(笑)。

──それって、いつぐらいの話ですか?

美大受験のために通っていた予備校で石膏デッサンを描いていたころと、イラストがだんだん仕事になってきて、慣れてきたあとぐらい。最初のころはいっぱいいっぱいで、言われたことをやるのに一所懸命で、そこまでの余裕はなかったから。でもだんだん、それは違うんだって思うようになって気をつけるようになったんですけど。っていうか、自分の特異体質、コンプレックスを、それでいいんだとやっと受け入れるようになったんですね。

──コンプレックスが最近まであったということですか?

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そうです。仕事を依頼されることは嬉しくて、でも同時に負担に思う気持ちもあって(笑)。大丈夫かな、私?みたいな。心のなかではヒヤヒヤしてやっていた。とはいっても、できることしかできないんですけど。でも、ヒヤヒヤして。
もともとは広告のデザイナーとして働いていて、絵を描くつもりは毛頭なかったし、描きたいみたいなのも全然なかった。いまでもないんですけどね。見ることは好きで、こんな絵が描けたらいいなと思ったりはするんだけど。ふつう作家とかだと、描きたくてしょうがないって人も多いと思うんですけど。
明治生まれの画家で、熊谷守一さんという人の『へたも絵のうち』という本があって。蟻や石をずっと見つづけたりして、自分は絵は描かなくて済むんだったら、ずっと見つづけていられるんだったら、そっちのほうが楽しいって言ってて、ああ、画家でもそういう人がいるんだってほっとしました。
どうしたらいい絵が描けるかと書生さんに訊かれて、自分を活かす自然な絵を描けばいいと答えたそうです。下品な人は下品な絵を、ばかな人はばかな絵を、下手な人は下手な絵を描きなさいと。

グチャグチャな絵を褒められて
「あ、これでいいんだ」と。

いまでもよく憶えているんですが、小学校4年生のときの担任が、図工の先生だったんです。絵を描く人で。その先生が、私が描いたグチャグチャな絵を褒めてくれたのが、すごい記憶に残っていて。あと、そのころ誰かに教わったことで、空が青いからって、青色の絵の具のチューブを絞って描くんじゃないって。全部の絵の具を出して、そのなかから色をつくっていくんだって。絵の具を混ぜていくと、いろんな色に変化していくのがおもしろいと思ったんです。だからいまでも、全部の絵の具を絞りだして、混ぜないと気が済まない。それが良いか悪いかはわからないんだけど、1色で塗れないのがクセになってるんです。

──空は青いとか、太陽は赤いとかって決めちゃうと、自分で考えなくなりますよね。自分で感じて色を考えることが絵の楽しさのように思いますけど。

子どものころの、たったひとつかふたつのそういうことが記憶に残ってる。自分は絵は描けないけど、けっこういけるんじゃないかって、勝手に自信がついてたんじゃないかなっていう気がします。その先生が、なんだかよくわからないグチャグチャな絵を褒めてくれたことが意外で、あ、これでいいんだって思えたから。その先生のことはみんな大好きで尊敬されてたっていうのもあって、自分のことを信じるっていうよりは、その先生が言ったことを信じるっていう感じ。

──そう考えると、大人のなにげないひとことって大事ですね。言ったほうは憶えてないかもしれないけれど。

川原真由美さんインタビュー その2へつづく

川原真由美{仕事の原画}展

イラストレーターでありグラフィックデザイナーでもある川原真由美さんによる、初の原画展を開催。高山なおみさんの著作や『暮しの手帖』『クウネル』などで、きっとみなさんも見たことのあるイラストを、たくさん展示します。

「川原真由美{仕事の原画}展」へ

川原真由美(かわはら まゆみ)
イラストレーター、グラフィックデザイナー。1965年生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。広告制作会社サン・アドで10年間デザイナーとして働いた後、フリーランスに。書籍や広告のイラストレーションやグラフィックデザインを中心に活動している。著書に『あたまの底のさびしい歌』(著 宮沢賢治・川原真由美/港の人刊)『十八番リレー』(著 高山なおみ・川原真由美/NHK出版刊)など。2003年より2011年まで美術同人誌『四月と十月』同人。雑誌『考える人』で「『犬が星見た』をめぐる旅 高山なおみのロシア日記」を連載中。http://www.kawaharam.com