今のわたしができるまで 第四回
『Daja』 ディレクター 板倉直子さん 〈後編〉
課題に向き合った先にある風景を、
やっぱりわたしは見たいから
充実した仕事をしているあの人も、輝く雰囲気をまとっているあの人も、ゼロから突然、いまいる場所に立っているわけではありません。
誰もがみんな、ときに迷いながら歩き続けて今のところにいる。
私たち“くらすこと”がすてきだと思う方々に、これまでの道、今、そしてこれからのことについて、お話を伺う「今のわたしができるまで」。
第四回は、島根県松江市にあるセレクトショップ「Daja」のディレクター板倉直子さんにお話を伺いました。
構成・文:神武春菜
写真:穴見春樹
● ▲ ■
奥出雲で過ごした子ども時代。
憧れを追いかけて青春を過ごした大阪時代。
将来への不安を抱え島根に戻った板倉さんは、「Daja」との出会いを機に、一歩ずつ、前へと進み始めます。
お客さんに喜んでもらえるお店にしたい!
「仕事が自分を育ててくれました」と、板倉さんは明言する。例えば、最初の2ヶ月間の心の変化は大きい。
「松江の店舗のスタッフは私だけだったので、一人で店番をしていると友だちが来てくれたんですが、欲しいものがなくて申し訳なさそうに帰っていくんですよ。当時のお店のテイストはアメカジで、私の趣向とも違っていたので『そうだよね……』って、いつももどかしかったし悔しかった。それに、もしお店が繁盛していたらアルバイトの私が口を出すことでもないけれど、売上も全然立ってなくて、放っておくとこのお店半年持つかな……という感じで。そんな状況に置かれて初めて、『お店を整えたい。お客さんに喜んでもらいたい!』という気持ちが、私の中に芽生えたんです」
「私が責任を取るので、お店の内容を全て変えませんか」。益田にいるオーナーにそう提案して、内装や取り扱う洋服もすべて変えていった。
ホームセンターでペンキを買ってきて、壁を真っ白に塗った。照明も増やして、植物も飾って……。毎晩、営業時間後に、一人でもくもくと作業した。お店に置きたい商品が見つからないときは、取引先のメーカーにかけ合い、「Daja」でしか出合えない商品も作って並べた。
「夢中になって物事を進めたのは、その時が初めてでした。今思えば、責任を取れるほどのお金なんてないんですよね。ただ、どんなお店にしたいかというイメージははっきりあった。『Olive』やアメリカ村で影響を受けた、イギリスやフランスの映画や音楽の記憶が、お店作りの土台になりました」
お客さんの反応は、手にとるように変わっていった。
「ここに来ると気分がすごく上がって楽しい」「こんなお店なかったから嬉しいです」――そんな声がものすごく嬉しかった。
「Daja」で働き始めて2年目の頃。好きなポスターを貼って、内装も自分好みに変えていった。
独立するべきか。
10年間、振り子のように迷い続けた
売上も増え、スタッフも一人ずつ増えて忙しくなってきた頃、オーナーから、「いっそのこと、板倉さんのお店にしたら?」と提案された。
「もちろん、やってみたい気持ちはありましたが、お店を買い取るには何千万円ものお金が必要になります。その時は20代後半で、まだ結婚もしていないし、人生がどう変わるかも分からない。一生を背負うほどの大勝負なんて、すぐには出来ませんでした」
やってみたい。でも自信がない。ずっと振り子のように揺れていたという。
大きな決断をするには10年もの時間がかかった。
30代半ばの頃、上京して自分のブランドを立ち上げ、活動していた時期もあったという。
「ずっと『Daja』しか見てこなかったけど、ほかの道もあるのかもしれない……。ならばその可能性を試してみようと思ったんです」
ブランドの名前は「オリジナル・サウンドトラック」。コンセプトは、「人生における映画音楽のような服」。
今も手元に残っているリネンのスカートを見せてくれた。鮮やかなブルーで描かれた美しいプリントに、思わずため息がもれる。
「プリントもオリジナルです。フランスのアンティークが好きだったので、そこからイメージをふくらませました」
「東京や大阪の街を歩いているときに、自分のブランドを着ている人を見かけた時があって、すごく嬉しかったですね」
その後、ブランドは継続しつつ松江に戻り、「Daja」の仕事との二足の草鞋を履いた生活が始まった。
私の魂は、ここにしかない
「Daja」の仕事も、ブランドの仕事も楽しい。
自信も、少しだけついた。
でも、独立する決心だけがなかなかつかなかった。
姉も妹も友人たちも、着実に人生を歩んでいるのに、どうして自分だけ進む道が決まっていないのか……。
焦り、落ち込むことも多かったという。
「Daja」を買い取るのではなく、松江のどこかに場所を借りてそこでお店を始めればいいんじゃない? そうアドバイスをしてくれる人も多かった。
「でも、『Daja』を作ったのは私なんです。ペンキを塗ったのも私!(笑)。手放してほかに行くなんてできますか。私の魂は、『Daja』にしかない」
38歳の時、板倉さんは全ての株を買い取り、独立する決心をする。
「でも、やっぱり自信がなくて……。スタッフに正直に言ったんですね。借金を背負うのもこわいし、経営者としてやっていくのもこわい。自信がないって。
そしたらスタッフが『私たちも一緒に頑張ります』って。今でも一緒にお店をしてくれている彼女たちには感謝しかありません。
私、本当は弱い人間なんですよ。今みたいに自分の思いを理路整然と話せるタイプじゃなかったですし、本当に一緒にやってくれる?って、最後まで弱音を吐いてましたから。でも、独立したら、弱音を吐いている時間はありませんでした」
経営に集中するため、ブランドの活動は休止。「Daja」のディレクターとして新たな日々を歩み始める。
冷静に、ただただコツコツと
お店を買い取って初めて、売上と仕入れのほかに必要なお金の大きさを知った。税金や社会保険、運転資金。経理も初めて勉強したし、経営計画も初めて立てた。お店の空気感や洋服の並べ方、置き方、BGMの音量、照明の明るさ、全て細かく計算した。
「Daja」では洋服だけでなく、板倉さんが厳選したアクセサリーや大好きな紅茶なども扱っている。
「でも、いくら完璧にお店を整えても、お客さんにお店に来てもらわないと勝負もできない。『Daja』で取り扱う洋服は、例えば分かりやすくフリルがあるとか、流行を追いかけたものとかではないので、一目で『かわいい!』って思うような服ではないんですよね。だから、その商品の良さをちゃんと説明する必要がある。自分で文章を書いて、写真を撮って、HPやインスタグラムで、商品のことをきちんと伝えるということ始めました」
「店頭では感覚で洋服を選ぶ楽しさを。裏付けとなる商品の情報はHPの中でしっかり紹介する。両方を楽しんでもらうスタイルが、『Daja』にはとても合っていたんですね」
山積みだった課題に一つ一つ向き合い、「Daja」とともに歩んできた。悩んでいない時なんてなかったという。
やるべきことに押しつぶされそうになった時、夫が渡してくれたメモがある。
〈冷静にコツコツと向き合えば、解決しない問題はない〉
「自分の職場のデスクに貼ってあったものらしいのですが、それを剥がして私にくれたんです。クローゼットの奥にお守りのように貼って、それを見ては心を落ち着かせて仕事に向かうことができました。
家族やスタッフ、取引先の方々、とにかく私は人に恵まれていたんですね。今回、このインタビューで、“今のわたし”ってなんだろうって考えたら、何者でもなく、何かになりたいとかでもなく、支えてくれた人たちへの感謝しかありませんから」
仕事を通じて恩返ししたい。
洋服を通じて、少しでも幸せな気持ちになってほしい。
いつの間にか、仕事の目標も明確になっていた。
ものを売る責任
板倉さんは2018年から「HAND ROOM WOMENS」のディレクターも務めている。
『HAND ROOM』は、厳選した素材を使用して、日本の最上級の縫製技術を持つ工場で、高い技術を持った職人によって作られるデイリーウェア。板倉さんはレディースラインの企画を担当している。『HAND ROOM WOMENS』のディレクションを通じて、こんな思いも生まれたという。
2016年にメンズブランドとしてスタートした『HAND ROOM』。板倉さんは「Daja」でも取り扱いたいとレディースのシャツを別注。「シンプルだけど、どこにもない素敵なシャツが出来上がって、少しずつ品番を増やしていきました。それがきっかけで、レディースラインのディレクションを担当させていただくことに。お声がけいただいたときはすごく嬉しかったです」
「洋服って、たくさん持てばいいというものではなくて、年齢や体型、ライフスタイルが変化しても、着方を工夫することで、『あ、こういう着方もいいな』『今の自分にぴったり』って思える要素を持ったもの、買ったらその先も長く着られるものが本当の意味でいい服だと改めて感じたんです。
『HAND ROOM WOMENS』のように、素材と縫製にこだわった本質的なものってそう簡単には古ぼけない。国内の熟練した職人のいる工場で縫ってもらうなど、その生産背景によりそれ相応の金額なのですが、だからこそ、その良さをちゃんとお客さまに伝えることが私たち売る側の役目。
愛着を持って長く着てもらえたら、お客さまにとっても、その服を作る職人さんにとっても、メーカーさんにとっても、お店にとっても、そして環境にとってもいいことではないかなって。今は、そんなふうにものを売る責任についても考えています」
「HAND ROOM WOMENS」のイメージのひとつは米女優キャサリン・ヘップバーン。「年齢を重ねた時の写真集なんですが、男っぽいシャツやコートを着こなす姿がすごくかっこよくて。『HAND ROOM WOMENS』は、男性性と女性性の両極に触れる着こなし方ができるといいなと思っています」
進み続けるために、
あえてペースを落とす
「Daja」は、2019年にお店のスペースを半分ほどに縮小するリニューアルを行った。
「とにかくずっと忙しかったんですね。1日13〜15時間は働いて、プライベートの時間もなかったので、精神的にも体力的にもいつか自分がパンクしそうな気がしていました。クオリティを保ちつつ、長く続けるためにもお店を小さくして、意識してスピードを落とそうと思いました」
ほぼ同じ時期にコロナ禍へと突入し、全国各地で開催していたポップアップイベントが中止になるだけでなく、お店を開けることさえできない日が続いた。
「自由な時間がたっぷりできて……。毎週、連休を取れるのって初めてだったので、最初は、どうゆっくり過ごしていいのかも分からなかった(笑)。でも、ペースをゆるめてみることの意味も、今まで無我夢中に走ってきたからこそ感じることができたと思います」
ご飯の作り置きをしたり、休みを使って山陰の旅に出かけたり、今の自分の暮らし方に馴染むおしゃれや着こなし方を見つけるのも楽しいと微笑む。
紅茶が大好きという板倉さん。日々のリラックスタイムにお気に入りの紅茶は欠かせない。「紅茶作りの背景を見てみたくて、インドのダージリン茶園を巡る旅に出かけたこともあります」
これからの“わたし”
ホワイトとベージュのさわやかなグラデーションコーデが、早春の景色に心地よく馴染む。
撮影に伺った日、松江では朝から雪がちらついていて、外での撮影を諦めかける場面もあった。が、最初の撮影地だった宍道湖に着いた瞬間、雪がやみ晴れ間が!
時々、太陽が雲に隠れることがあっても、街を案内してくれる板倉さんの足取りは軽い。
仕事も、プライベートも、立ち止まりながらも、その足で歩み続けてきた。
これから先、どのような人生を思い描いているのだろう。
「うーん、やっぱり選ぶ服やお店へのこだわりが、まぁ、これくらいでいいやと思ったら、特に、この仕事じゃなくてもいいやって思うんですよ。
せっかくお店を持てたからには、全身全霊を傾けたい。
理想を貫きながら健全な経営をすることは、簡単なことではありません。
でも、課題に向き合った先にしか見えない風景をやっぱり私は見たいから、自分が思う到達点に向かって努力ができているか、自分に問いかけるようにしています。
その風景を見た時の気持ちって、本人にしかわからないと思う。でも、生きてるって、そういうことなのかなって思うんです」
「松江は、城下町という歴史からか、しっとりと落ち着いていて、トラディショナルな雰囲気があるんですよね。私が大好きな服もトラディショナルでスタンダード。松江の町と合うのかもしれません」
「じつは10年くらい前に大きな病気をした時があって、幸い病状は好転して今に至るのですが、その経験から、人生の時間について、より強く意識するようになりました。検査で、もう大丈夫ってわかった時、神様がまだお店を続けてもいいよって言ってくれてる気がした。あの時の気持ちがあるから、伝えたい思いがある時は、後回しにせずに、自分の言葉でちゃんと伝えるようになりました」
インタビュー中、板倉さんがふと言った言葉がある。
「偶然に物事は成り立ちません」
板倉さんが、ただただひたむきに努力を積み重ねてきたからこそ生まれた言葉だったと気づかされる。
悔いがないように生き切るために、今、そして未来からも自分を見つめて、信じた道へと進んでいく。
お話を聞くひと
板倉直子さん
「Daja」ディレクター
1967年生まれ。島根県松江市にあるセレクトショップ「Daja」ディレクター。ファッションブランド「HAND ROOM WOMENS」のディレクションも手がける。著書に「大人のための かしこい衣服計画」「頑張らないおしゃれ」「明日、ちょっといい私に出会えたら」(いずれも主婦と生活社)、別冊天然生活「大人の悩みこたえるおしゃれ」(扶桑社)がある。
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