今のわたしができるまで 第六回
パームリーダー くろさわじゅんこさん〈前編〉
パームリーディングは、
自分を表現できる唯一のもの
充実した仕事をしているあの人も、輝く雰囲気をまとっているあの人も、ゼロから突然、今いる場所に立っているわけではありません。誰もがみんな、時に迷いながら歩き続けて今のところにいる。
この連載では、私たち“くらすこと”がすてきだと思う方々に、これまでの道、今、そしてこれからのことについて、お話を伺っていきます。
構成・文:神武春菜
写真:穴見春樹
第六回にご登場いただくのは、全国各地でパームリーディングを行なっているくろさわじゅんこさんです。パームリーディングとは、「パーム(palm)/手のひら」を読む、つまり手相占いのこと。
くらすことでも、2022年から年に一度、くろさわさんのパームリーディングの会を開催しています。悩みや迷いに対する答えが見つかったり、自分では気づいていなかった可能性の扉をくろさわさんが開けてくれたり(しかも、待ったなしに「バーン」と!!)、毎回大好評!
「パームリーディングを始めて、じつは、私自身も考え方が変わったし、顔つきも変わりました。自分のことも、やっと好きになれました」
くろさわさんは、どのようにして“今のわたし”にたどり着いたのでしょう。
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手のひらの線が手を上げて、
「ここを読んで!」と教えてくれる
春の訪れを感じさせる、明るい冬の光が差し込んだ2月上旬。くろさわさんは、大きなスーツケースと、大きなトートバックを持って取材場所へとやってきた。
「旅鑑定に出かけるときはいつもこのスタイルです。もともと旅が大好きで、画家の山下清さんが、絵を描きながら全国各地を訪れる姿に憧れていました。
あの人は絵を描いておにぎりをもらって旅を続けていくけれど、私はパームリーディング中に使う金色のペンを持って、訪れる先々で手のひらを読む。『また来てね』って言ってもらえて、次の旅先でまた新しい出会いと学びがある。こんなに楽しい仕事、辞める理由が見つからない!」
この日、くろさわさんは、くらすことで2日間開催されるパームリーディングの会に合わせて、現在住んでいる徳島県から、くらすことへと移動を終えたばかり。それでも、テーブルを挟んで向かい合わせに座ると間もなく、私の手のひらをそっとひらき、「ではみてみましょうか」とパームリーディングを始めた。
その人にとって大切な線は、ゴールドのペンでなぞりながら伝えることもある。
「うんうん、なんだ、もう自分の中に答え持ってるじゃん。スッキリした手っていうのかな。こういう手の人は、もっと振り切っちゃった方が自分のやりたい方向にさらに進んでいけると思います。うんうん、大丈夫大丈夫」
手のひらを見た瞬間、くろさわさんは伝えたいことがあふれてくる。
彼女いわく、「手のひらの線と目が合う」のだそうだ。
「線が自ら手を上げて、『ここを読んで!』って教えてくれるっていうのかな。それは、その人のイイところなの。こんなにイイ線を持っているのに、なんでそのイイ部分を使ってないの?って思う人が本当に多い。だから、まずはそこを知ってほしいって思ってます。
ただね、じゃあ今どうすべきか、という答えを、私から渡すことは絶対にしません。こういう線を持っているからこういうことも出来るし、こんな可能性もあるよって提案はするけれど、答えは自分で決めてねって。だから、『じゅんこさんはこう言ってたけど、それは違うな』って思ったら、海にでもどこにでも捨ててくださいって伝えています(笑)」
〈当たる・当たらない〉ではない。くろさわさんのパームリーディングは、その人の手のひらからのメッセージを、くろさわさんが感じたままに言葉にしてくれる時間なのだ。
手の雰囲気や、右手と左手のバランスも見ているそう。「潜在的な部分の元気が足りていないと、左手の血色が悪いことがある。反対に、右手が元気すぎる手の人は心身のバランスが崩れていることも。いろんなメッセージを読んでいます」
「あるとき、絵を描く仕事をしている人に『じゅんこさんが手を読んでいる感覚って、僕が絵を描いている感覚と同じですね』って言われて、あ、そうかと。私にとってパームリーディングって、表現の一つなんだなって。そこに気がついたら、パームリーディングがもっともっと面白くなっていきました」
そう話すくろさわさんの姿からは、まるで想像がつかなかった。
パームリーディングの仕事を始めるまで、くろさわさんは、自分のことを語らない無口な人。そして、相手の弱いところばかりをつく、自称「ジャックナイフじゅんこ」……!
そんな自分が嫌いで、そんな自分から逃げ出したい。
でも、どうすればいいか分からない。自分自身を守ることに必死だったという。
一生懸命がんばるほど、
自分のことが嫌いになっていく
埼玉県生まれ。子どもの頃から占いが大好きだった。雑誌の星占いページはいつも欠かさずチェックしていたし、高校生になってからは、雑誌「anan」の手相特集を必ず買っていた。かといって、占い師になりたいと思ったことはなかったそうだ。短大を卒業後、食品卸の会社に就職し、経理の仕事に就いた。
「経理の仕事が向いているとは思わなかったんですが、他に就きたい職もなかったので。ただ、当時はとにかく出世したい、いつか起業して社長になりたいって思っていましたね。やりたいことが見えないからこそ、何者かになりたかったんだと思います」
くろさわさんは、人生の転機が訪れるのを待ちながら、誰よりも真面目に、一生懸命頑張った。30歳の時には、「いつか社長になるから、経営学を学んでおかないと」と通信制の大学にも通った。
でも、どんなに頑張っても出世の道は全く見えてこない。占いで「今年は数年に一度のチャンス到来」と出れば、ワクワクしながらそのときを待ったが、何も起きないまま、また一年が過ぎていく。この職場にいても転機は来ないのではないか。転職も繰り返したが、何も変わらなかった。
「こんなに真面目に頑張っているのにって、毎日イライラして、職場で頑張ってない人を見るとまたイライラして、殺気立ってましたね。自分の弱みを絶対に見せるものかといつもは無口なのに、自分の本音を知られそうになったとたん、相手の弱いところを見つけて責め立てる……。自分って最低だなって嫌悪感を感じては、自分のことが嫌いになる。その繰り返し。これが暗黒の『ジャックナイフじゅんこ』時代です」
人生はいつか面白くなるものだと思っていたのに。
高校を卒業しても、短大を卒業しても、社会人になっても、全然面白くならない。自分に響くものが、何一つ見つからない。
悶々とする日々が、18年間ほど続いたという。
どうして“ちゃんと”
生きてきちゃったんだろう
2011年、37歳のとき。くろさわさんは、東北地方で起きた東日本大震災のボランティア活動に参加するため、その年の5月に仙台を訪れた。「くろちゃん、今の惨状を見ておいた方がいいんじゃない?」という、被災した友人からの誘いだった。
「自分に何が出来るかわからないけれど、とりあえず行こう」
現地に到着したくろさわさんは、赤十字が募集していた写真や位牌などを洗浄するボランティアに友人とともに3日間参加することにした。自衛隊の人たちが拾い集めた写真や位牌についた泥を、水で濡らしたタオルで丁寧に拭き取り、体育館に並べていく作業だ。
「『あ、おばあちゃんの位牌がある!』とか『友達の通帳だ!』とか、ものすごい数の落とし物がある中で、なんとなく、『これは先に泥を落としておこうかな』って洗って並べ終えた直後に、持ち主や、持ち主の知り合いが現れるという場面が何度かありました。やっぱり物事にはタイミングというものがあるんだなぁなんて思いながら、作業を続けていました」
その日の休憩時間。くろさわさんは、体育館の裏を流れている川の土手に座って、友人と昼食をとっていた。よく晴れた日で、水面はキラキラと眩しい。そんな景色を見ながら食べるご飯は、なんだかいつもより美味しく感じるほどだった。
「でもね、あのブロック(消波ブロック)、震災の当日はさ、あっちまで飛んだんだよね」
友人がそう言って指差した方を見ると、巨大なブロックが遠くの方に転がっていた。学校の壁には、津波が来たことが分かる泥水の跡が、身長よりもずっと上の方に残っている。今はこんなにも穏やかな景色なのに。言葉が出てこなかった。
「その時、なんていうか、悲しいという気持ちよりも、私たちって自然の上に生かされているだけなんだってことを、すごく感じたんです。どんなに、『私はこんなに頑張ってます!』って言っても、自然の中で生きている限り自然の摂理には逆らえない。それも含めて自分の人生なんだと気づいたら、私、まずいぞと。
ずっとずっと頑張ってきたはずなのに、『人生は今日で終わります』って言われたら、もっと違う生き方がしたかったなって、めちゃくちゃ後悔すると思ったんです。なんでこんなふうに真面目に“ちゃんと”生きてきちゃったんだろう。自分が面白いと思う生き方をしないとなって」
そう思ったとき、くろさわさんの頭に浮かんだのが、占い師になっている自分の姿だった。一生懸命頑張ろうとしなくても、無理をしなくても、気づけばずっと好きだったもの。
くろさわさんは、会社員は辞めて、フリーターと占い師の二足の草鞋の生活を始めることにした。
後半につづきます。
お話を聞くひと
くろさわじゅんこさん
パームリーダー
1973年埼玉県生まれ。2012年からパームリーダーとしての活動をスタート。全国各地でも鑑定会を開催し、旅をしながら手のひらを読んでいる。現在は徳島県三好市東祖谷在住。鑑定会の予定は、くろさわさんのSNSでチェックできる。
@junko_kurosawa