福岡・朝倉
松末小、最後の卒業式
〜前編〜

福岡県朝倉市は昨年7月、九州北部豪雨災害に見舞われました。このとき、最も甚大な被害を被りながらほとんど報道されなかった地域があります。結束の高い地域の人たちは、復旧の途上にありながら閉校の決まった地区の小学校を中心にとある行動を起こしました。
“いいだしっぺ”はここで生まれ育ち、現在はごはんやさんを営む一人の女性。彼女の声は多くの人を巻き込んで、「卒業を祝う食事会」の計画が進み始めました。

写真 戸倉江里
取材・文 松本あかね

プロローグ

淡いピンクの桜が体育館の真ん中でほころんでいる。その周りには菜の花やレンコンのお寿司、里芋とジャガイモのコロッケ、ピンク色のビネガーに漬かったピクルス、赤大根の葉と文旦とドライイチジクのおひたし……
華やかなお祝いの野菜料理。まるで春を待つ、少し早いお花見のようだ。

今日は福岡県朝倉市立松末小学校の卒業式。そして最後の卒業生を送り出す日でもある。144年目を迎える年をもって松末小は閉校する。卒業式の後、髙倉優仁子さん(以下ゆにこさん)とその友人たちの手でお祝いのお食事会が催された。

厳粛な式のときとは趣を変え、たくさんのお花で彩られた体育館に子どもたちは目をみはった。木のプレートを抱え、少しずつ彩りよく盛りつける女の子、大豆ミートの唐揚げおむすびばかり積み上げて、友達とじゃれ合いながら席に着く男の子。リネンのクロスをかけた長テーブルに並んで仲良く食べ始めた小さな姿に、ゆにこさんはあの日の約束を重ねただろう。
「いつかご飯作るから食べにきてね」

2017年7月5日

子どもたちと約束をしたのは、去年の初夏。その日、松末小学校の子どもたちはお店探検にやってきた。『hodagi』は小学校の前を流れる赤谷川の少し下流にある。自宅の庭のお蔵を改装し、地元の素材を使った「おやさいごはん」が人気のお店だ。
後にゆにこさんが友人たちに送った手紙にはその日のことがこう記されている。

〈2017年7月5日 雨の少ない、梅雨らしくない初夏を終えようとしていた、ごく普通の夏の一日/雨の天気予報がはずれたかのような、時々日のさす午前中の1時間/松末小学校の1・2年生が、近所のお店探検に来てくれました/生まれ育った場所で、お店をしていること/この場所が、遠くから来てくださる方々に、どう映っているのか/近くで採れたお野菜を使ったお料理/誰かと一緒に何かを食べるということ/お店に最初のお客様をお迎えしてからの約四年間に感じたものを、拙い言葉にしながら語ることは、自らも学びの時間となる、貴重な機会でした/「傘、持ってきたけどいらなかったね!」/明るく帰っていくその声が、今も鮮明に思い出されます(後略)〉

同日午後、松末地区は未曾有の豪雨に見舞われた。積乱雲が厚く空を埋め、激しい雨が何時間も降り続いた。気象台の記録によれば、例年7月の月平均の倍の雨量が8時間のうちに降ったという。九州特有の礫を多く含んだ火山灰土壌は脆く、山は崩れ、倒木を含む土石流が集落一帯を押し流した。

松末小では児童11名と教職員、地域の住民ら54名が校舎の3階で一夜を明かした。その夜のことで塚本成光校長先生が覚えているのは「音」だという。
「雨の音、濁流の音。稲光と雷。運動場にあった相撲場が、みしみしいってスローモーションのようにひしゃげていったですね」

校舎裏の幅5メートルほどの小川が川幅を何倍にもして大量の土砂と倒木と共に校舎にぶつかってこようとは、誰にも想像できなかった。体育館と並んであったプールは基礎ごと押し流され、運動場の端にあった相撲場は激しい流れに浸食されて土俵ごとなくなった。

ゆにこさんも避難した。間もなく裏山の土砂が自宅とお店に流れ込んだ。

一夜明けると周りの景色は一変していた。
山は赤い肌を晒し、目に映るのは倒木と土砂、倒壊した家屋、横転した車。初夏の緑潤う山里は泥炭に覆われ、景色から色が消えた。
「毎日泥ばかり見ていました」
ゆにこさんは振り返る。
「人の声もあまりなく、緑もなく、花もなく、とにかく土だらけで。一年でいちばん美しい季節のはずが、ひゅうっとつむじ風が吹くような寂しい景色でした」

朝倉市の中でも、筑後川に注ぐ赤谷川流域にある松末地区の被害は甚大だった。県道は不通となり、3週間以上、徒歩でしか出入りができなかった。報道も入らず、世間のニュースが移り変わっていく中、まるで忘れられた土地のようだったという。

2017年8月末

閉校予定だった松末小は復旧の目処が立たなかった。体育館には2メートルもの土砂。運動場も厚く泥に覆われたまま。そのまま壊してしまうという話が出たのも、思えば仕方のないことだったかもしれない。
子どもたちは近くの小学校に建てられた仮設校舎で2学期を迎えることになった。

「松末小の体育館で卒業式を」という声が上がり始めたのはその頃だった。行政の手が回らないなら自分たちで、と地域の大人たちが手を上げたのだ。
このとき、ゆにこさんは心密かに決めていたことがあった。
「卒業式の後、お祝いの食事会を開こう」
災害の数日後、小学校の土砂だらけの体育館の前に立ったとき、すっと光景が頭に浮かんだのだという。不思議なくらい鮮明で、まるで導かれるようにその後の行動は早かった。もしかしたら、この機会を逃したらあの日交わした「いつかごはんを食べに来てね」の約束が果たせたくなるという思いがあったせいかもしれなかった。

本人曰く「断られる気満々で」出かけた直談判の席で、校長先生はあっさりと言った。
「どうぞやってください」
あっけないほどの答えの裏にはある懸念があった。
「思えばあの頃、私たち皆、PTSD(外傷後ストレス障害)だったのかもしれません」、校長先生は振り返る。
「子どもたちの中には松末に帰りたくないってね、こわいから。けれど、やっぱり自分たちの故郷ですから。こんなことがあっても自分たちを育んでくれたルーツというか、好きでいてほしいですね。今も心に残っているのは『きらいになってほしくない、松末を』という髙倉さんの言葉。それにえらい共感しましたね」

「“きれいな景色の上塗り”をしたいなと思ったんです」、とゆにこさんは話す。
「あったことは仕方がないし、こわい状況を見たり、聞いたりした記憶を消すことは無理な話。けれど、その上にきれいな景色の記憶を上塗りしたら。そうしたら何かが違ってくるじゃないかって」

2017年10月

二学期が始まると「卒業式を体育館で」という言葉が合言葉のように行き交うようになった。9月、朝倉青年会議所の有志が体育館に重機を入れ、泥出しを始めた。それから朝倉PTA連合が清掃に入り、10月14日には子どもたちと保護者で教室の清掃を行った。校長先生は言う。
「被災した学校見せるのは、どうなのかなって迷いました。だけど来てみたら、子どもらはもう遊び回っていましたね。体育館もまだ床がなかったですけど、『きれいになってるやん!』ってえらい喜んで。そこまで皆さんにしてもらってですね、これなら卒業式もできそうだと」

2017年11月 京都

頭に浮かんだビジョンを実現しようと決めてから、ゆにこさんが最初に向かったのは京都。訪れたのは似顔絵師の笑達さんのアトリエだった。

笑達さんは柔らかいクレパスでのびのびと描く。筆致のひとつひとつは奔放なのに集まるとその人の顔になる。あ、と誰もがわかる表情でニコニコとこちらを見ている。
「本人に会った気がするくらい存在感のある絵なんです。人の話している声が聞こえそうなくらいの」

その笑達さんにお願いした。
「松末小の子どもたちを描いてください」
ゆにこさんにはもう見えていた。体育館の空間いっぱいに広がる、子どもたちの生き生きした表情。松末小の全校児童の笑顔が並ぶ景色が。

会うのは2度目だったというけれど、ゆにこさんの気持ちはストレートに伝わった。
「髙倉さん自身が被害に遭われている。当事者の方に頼まれたというのは大きかった。自分にできることがあるんだと。チャンスをもらえて素直に嬉しかった」

ビジョンの空白を埋めるように、「声をかけまくる」日々は続いた。福岡市内で花屋『つむぎ』を営むひなさん。広島在住の素描家shunshunさんはじめ、手伝ってくれることになったのは日常のちょっと先に楽しさや面白いことを見つけられる人たちばかり、という。
「笑達さんはクレパスさえあれば喜びを生み出せる人だし、ひなさんは自分で採取したり、育てたお花を使われる方。shunshunさんも普通に売っているペン一本ですごい景色を作り出す人」

子どもたちが十年後にこういう人に会ったなと思い出してくれたら。それくらいでいいんです、とさらりと言う。
「本当は山で遊んでいるだけで何か発見できるのが子ども。でも今はそれが難しい状況だから、面白い大人が集まったら面白いことができるかなと」

2018年1月

年明けて、笑達さん、ひなさん、福岡市在住のイラストレーター、ムツロマサコさん、アクセサリー作家『0202(おにおに)』のとよだようこさんが松末小の仮設校舎を訪れた。子どもたちは照れながらモデルになり、「はっぱやさん」のひなさんと草冠を作って遊んだ。ムツロさんと一緒に絵を描いて、大きなメッセージボードも作った。

4人は子どもたちと給食を食べ、夜は校長先生、PTAの人たちと食事を共にした。笑達さんは言う。
「聞いたら地域の人たちはほとんど松末小の卒業生。皆さんそれは一生懸命で。仕事柄、いろんな土地へ行きますが、地に足着けて生きている人って魅力的なんです。今回、まさにそういう方たちの仲間に入れてもらって一緒につくり上げる機会をもらえたことが嬉しくて」

「嬉しい」という気持ちは、ゆにこさんに声をかけられた人たちに共通していることでもある。
「ごはん作りに来てください」というメールから熱を感じたという鳥取県在住の料理家、城田文子さん。
「こういう仕事をしていても、純粋に料理をする機会って滅多にないことなんです」
心を無にして、ただ喜んでもらうためだけに料理する。自分にできることをただする、そういう場に呼んでもらったことがありがたかったといいます。

こうして集まったのは、城田さんはじめ福岡市のレストラン『NIIHARA』の料理人、舞さんの料理チーム、ひなさん率いるお花チーム、haruka nakamuraさん、内田輝さん、斎藤キャメルさんの豪華音楽チーム、それからテーブル、食器を担当する杉工場と木工作家、山口和宏さんら木工チーム。そのほか仕切り、サポートの面々を加えた総勢40名以上が、卒業式の前日の3月15日、続々と現地入りしたのだった。

福岡・朝倉 松末小、最後の卒業式