福岡・朝倉
松末小、最後の卒業式
〜後編 1〜

144年の歴史の最後の年、松末小を見舞った豪雨災害。「最後の卒業式を松末小で」を合言葉に、地域、そして県外から集まった大人たちが力を合わせます。
災害が起こったとき、当事者でない人は心を痛め、自問します。何かできることはないかと。その「何か」とは何か、また被災者自身はどのように自らを悼み、前へ進もうとするのか。「そのひとつの例として、見てくれたら嬉しい」とゆにこさんは言います。

写真 戸倉江里
取材・文 松本あかね

ターニングポイント

「被災」という言葉がある。つい昨日まで、好きなものに囲まれ、食べたいものを食べ、着たいものを着て、好きな音楽を聞き、心地良いリネンに包まれて眠りにつく。その日常が当たり前だったのに。

「被災者」になる。それは受け身になること。炊き出しを食べ、避難所で眠る。あるものを着る。唯一、能動的にすることといえば、泥を運ぶこと。

昨夏、毎日2、3キロ歩いて被災した自宅へ行き、泥かきをする日々を支えてくれたことの一つは、今までに見た絵、聴いてきた音楽だった、とゆにこさんは言う。
「そういうものの力って大きい。普段は皆気づかないかもしれないけれど、絶対に助けてくれているんだと思います」

「通行止めが解除になる前は、音楽を聴くのも、お花を育てるのすら、こんな状況なのにしていいのかという声が聞こえたほど。だってまだ家も住めないし、毎日泥まみれで作業しているときに、『この絵が癒してくれるよ』というのは違うでしょう?」

しかし、状況が許さないからといって、心が求めていないということではなかった。ゆにこさんが気持ちの変化をはっきり感じたのは、全面不通だった道路がようやく開通したとき。道の存在って大きいと思った、という。
「道が開いたと聞いたとき、皆に来て欲しい、って思ったんです。松末に」

松末小の子どもたちのために、お食事会を手伝って欲しい、そう声をかけ始めてから半年。ついにその日はやってきた。

2018年3月15日
近所の方から届いたトサミズキ、用務員さんが育てたパンジー

校門の前の道にいくつものプランターが並んでいる。体育館へと続くお花の道はここから始まっているようだ。
卒業式に花がたくさん飾られることを聞いて、それならうちもと近所の方が並べてくれたもの。運動場にはまた別の地区の方が丹精したプランターが続く。

「卒業祝いのお食事会のためにお花をわけてくださいませんか」。
昨年のうちからゆにこさんも地区を訪ねて回った。苗を預けて「水やりをお願いします」、「咲くまで温室に預かってください」、そんなふうにお願いすることもあった。

卒業式前日、たくさんの花が届けられた。
「お花を育ててくださいって言われて嬉しかったわ」
「鉢を預かっている間、家の前が華やかになって」
そんな会話が聞こえてくる。
集まった花々は種類も鉢の大きさもさまざま。トサミズキ、金魚草、デイジー、パンジー、ビオラ。松末小の用務員さんが仮設校舎で丹精したというプランターもある。

この日のために体育館の床は張り替えられ、ステージが設置された。作業着姿の校長先生を筆頭に先生、PTA、地域の方々が机、椅子を運び込む。
同じ日、県外からのメンバーが続々と現地入り。会場設営と料理の仕込み班に分かれて準備に入る。
夜、卒業式の準備が完了した後に食事会の設営のリハーサル。そばにある地域コミュニティーが運営する加工場の厨房では、深夜まで仕込みが続いた。

2017年3月16日
朝、厨房で

厨房では朝早くから湯気が立ち上った。料理の仕上げに向けて総力戦だ。おむすびの手伝いに加わった4人が忙しく手を動かす。そのうちの一人は地元のお母さん。
「ゆにこちゃんのことは、小さいときから知っていますよ。立派だと思います。食事会をするって。何か言いだしても、いざ実行するのは大変なことですから」
ふと赤いランドセルをしょった女の子の姿が浮かんだ。ゆにこさんも松末小の卒業生なのだ。

パイプ椅子でなく木の椅子で

午前中の式が終わった後、体育館では急ピッチでお食事会の準備が始まった。パイプ椅子を片付け、木のテーブル、椅子を並べてリネンのクロスを敷く。花瓶を置く。

木の家具はゆにこさんがこだわったひとつだ。年季の入った飴色の丸椅子は大正時代に学校用として作られていたものだとか。「今はうちの社員食堂で使っているのを持ってきました」と言うのは、お隣のうきは市にある杉工場の方。
「会場を素敵に整えて、お呼ばれみたいにしてあげたい」
というゆにこさんの思いに応え、ヒノキの端材で作った特製プレートも用意した。

一方で似顔絵をワイヤーで吊る作業が進められていく。クレパスの色移りを避けるため、髪など濃い色を使う仕上げは現地入りしてからの作業だったから、笑達さんは二晩、完徹だ。
縦がおよそ100㎝という大判サイズは、体育館の広い空間を想定して選択した。全てを展示し終えたとき、拍手が自然にわき起こった。

お食事会始まる

今日のためにたくさんの人が咲かせてくれた花々は、春の光と暖かさを運んできてくれたかのようだ。「もう間に合わないかも」と思いながら、ひなさんが温室に預けたという桜の枝からは、薄いピンクの飛沫が吹き出すような勢い。
「(子どもたちが)喜ぶやあ」
セッティングが終わったあとの体育館を見渡して、校長先生は言った。

全校児童27名が揃って入場したとき、皆が目にしたのは華やかに設えられたお祝いの席だった。うわあ、と見上げたその先には自分と仲間たち、そして先生みんなの笑った顔、顔、顔。
やがて和やかに食事会は始まった。

花の咲き乱れる小径を作り上げたお花チームは、手を休めることなく、今度はミモザで花冠を作り、子どもたちの頭に載せていく。小さなコサージュは、先生保護者たちの胸元や髪に。野原に花が咲くように、ひとつまたひとつと増えていく。

いつもの顔

会場には二つの飲み物のスタンドがある。福岡市の珈琲店『珈琲花坂』のブースに真っ先に並んだのは、卒業生の女の子。
するといつの間にかそばに来た男子が「もしお前が、苦って言ったら笑ってあげるー」などと絡む。それでいて君たちは? と聞かれると「炭酸とりんごジュースください」、というのだから笑ってしまう。

こちらも福岡市のカフェ『papparayray』のブースでは、「校長先生がものすごいうまい言うけん」、「俺も一杯もらう」と男性陣の列。受け取ったのはシナモンで香りをつけた温かいりんごジュース。隣ではお母さんたちが、フレッシュのいちごを使ったソーダの色がきれい、とはしゃいでいる。
ふと思う。ほんの少し前までここには子どもたち、先生、PTA、地域の人たちの分け隔てのない時間がいくつもあったのだろうな。

松末小は昭和40年代以降、年々児童数が減っていった。その分、運動会など学校行事には地域の人が率先して参加してきた。子どもたちのこと、学校のこと、気がつけばさりげなく手伝ったりフォローしたり。地域も一緒になって子どもたちに寄り添う。松末では学校を中心としたそんな日々が日常だったのだ。

そういえば卒業式の間、いちばん泣いていたのは、低学年の子どもたちだった。今はどの子も穏やかな顔をして、長テーブルに向かい合って座っている。黄色い花冠をつけた頭が並んでいる。児童27名とそれを取り巻く大人たち。その輪の温かさを改めて思った。

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